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脱ぎ捨てられる昨日

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瞼のむこうのその人に

夢はたしかに見るのだけれども、いつだって夢は思い起こすことでしか自分のものにならない。

夢のまっ最中に落ちて、夢とともに動いていく「自分」というものの、あの臨場感をあんなに知っているのに、夢みるそのときの自分は夢を知ることはまるでなく、いつも起きてから、急速に失われていく夢の夢らしさばかり、その上澄みを慌てて言葉で寄せ集めるしかない。
そして言葉にしてしまったらそれはもう夢ではなくなってしまい、自分の知っていることだけで出来た傲慢な物語になってしまう。
夢は語ったそばから自分のものになってしまい、それはつまり夢が他人のものになってしまうということのように思う。スナフキンが、「なぜ人は皆自分に行ってきた旅のことを聞きたがるのか、言葉にして話したら旅はだいなしになってしまう」というようなことを言っていたということを聞いたけれども、その感覚に近いかもしれない。言葉にしてしまったら、旅は旅ではなくなってしまう。でも、夢は言葉にしなければ忘れてしまう。
言葉は未知を未知にしておくことができない。言葉は対象を自分が知っていることにしてしまう気がする。少なくとも語っている自分にとってはそういう無力感がつきまとう。

人の夢の話を聞くことは、多くの場合とても苦痛であるらしい。
それは究極の「自分語り」を聞かされるということだからだろうか。夢を語るほうは自分がとても面白いことについて語っていると信じてやまず、夢のありのままをこぼさずに伝えなければ鳴らないと使命感のようなものさえ抱いているかのように語ることがあるのに、聞くほうはその語る人の情熱を感じれば感じるほど途方もなく退屈に感じてしまうという、この落差はなんだろう。その、交換するもののなさ具合。

覚えている夢よりもただ通り過ぎて消え去った夢のほうがずっと夢であり、覚えている夢はとうに自分がいいように編集した映画のようになってしまっている。それが本当に見た夢かどうかさえ怪しい。こういう夢をみたことにしようといつか自分がしたかもしれないし、もしかしたらもっと別の記憶をつぎはぎして夢ということにして引き出しにしまっておいているだけかもしれない。自分の人生の過去の記憶と同じように。

というわけでわたしはとてもよく夢をみる。

夢をみながら、少しなら夢を都合よく編集することも出来ることもある。
いやな場面にきたら巻き戻したり、とばしたりする。
巻き戻るときの感覚は面白い。
夢の中でごうごうとまわる大きな洗濯機に突っまれたみたいな感じ(言うそばからちっともそんなではないのに、そんな感じであるような気がしてくる)
現実の自分の身体に鳥肌がたつ感覚さえある。実際に失敗して目が覚めることもある。目覚めると耳のあたりがざわざわとしている。
空を自在に飛ぶ夢を見ることもある。たいていの場合気持ちのいいものではないけれども。
訓練すればもっと夢の達人になる人もいるということだけれど、それはともかくとして、これだけ夢をみるのに、わたしは自分の夢というものを全く信頼していなかった。

「信頼」という言葉は誤解を生むかもしれない。
たしかに、少なくとも私は、夢が何か自分の未来や現在について、ほかの何よりも重要な解答を示すとか、そういう風に思ったことはない。
とはいえ、夢を軽視しているというのでもない。夢読みについて否定的だというつもりもない。つきあい方やスタイルの問題であり、夢読みという他人、社会から向けられる物差し・言葉に対する自分の物差しの問題だと思う。フロイトが夢読みをする以前にも、世界のさまざまなところに歴史的・伝統的な夢読みのルールは存在したのだし、現在もこの都市の人間の間にも夢読みのルールは存在するだろう。歯が抜ける夢をみたと言ったら、幾通りものそれらしい解答が得られるように。その中で一番、自分の言葉にしっくりとくるものを人は選ぶ。
ようはそれは多分、今のところ自分にとってはテーブルマナーのようなものだ。

信頼していない、というのはそういうことよりもむしろ、前記のように、夢を思い起こすうちにいろんな象徴が装飾されて、それらしいものに姿を変えてしまうからだ。
実際には夢に見もしなかったことが当然のように繋ぎとして使われてしまったりする。
たった30分しか寝ていなかったのに、どう考えても二時間以上の夢を見ていたはずだ(その膨大な情報量が30分のうちのレム睡眠中におさまるわけがないという感覚)ということも少なくない。
だから、夢には「そのとき」なんて本当はないのではないかと思っていた。

「ああ今日、○○さんに会った夢をみたな」と寝起きの自分が思ったとして、本当に私が○○さんに会った夢をみたとは限らないのではないの、という疑いがあったのだ。
こういうことは言葉にしているうちに、どんどんわけのわからないことになっていく。


さて、久しぶりに会った友人の「寝言」を偶然聞いた。そのことについて書くということについては、本人に申し訳なく思うけれども、その時わたしははっと衝撃を受けた。

普段話しているときと同じ声の高さと、調子と、歯切れの良さで。
「それでご飯買いなよ」
「うんいいからさ、気にしないで」

それを聞いて思ったのは、ああ、この人は、「今」、だれかに実際に会っているのだなあ、という新鮮な驚きだった。夢の中の「そのとき」は、あとで物語化したときにはじめて固定されるものではなく、きちんと経験している、一出来事なんだ。

目の前でだれかがだれかに電話をかけているときのように。
電話のむこうに誰かがいて、制御できない言葉の交換をしているように。
その人がだれかと「話をしている」という、その疑いのなさが。
全部過去ではなく、現在なのだ。
閉じた瞼をへだてて、誰かもう一人いるように思えてならなかった。
今声を出したら、わたしの声もちゃんとその人へ届きそうな気がする。
その手ごたえのようなもの。

夢のうちで、自分の発する言葉は、物語の自分の役割にあてふられた台詞を後で思い返すのではなく、本当に誰にも制御できずに突き進んでいってしまうそのときそのときの「会話」であるとしたら。
アクションではなくリアクションであり、刺激に対する反応であるのだとしたら……。
誰かに話しかけられて、それに答えて言葉を発しているその様は、それはもう本当に、誰かに実際に会っていることと、夢で誰かに会うことと、何の違いがあるんだろう?
その閉じられた瞼のむこうに、誰かがいるのではないとどうして言えるだろう?

夢でAさんに会うのと現実にAさんに会うのと、どのぐらい違うだろう。
なんせ相手が本当にいるかいないか違うのだから、ぜんぜん違うのじゃないかと言ったって。
去年会ったあの日のあのことを、Aさんは覚えておらず、わたししか覚えていないということだってあるのだし。その逆だってあるのだから。
Aさんの知らないところで、夢でわたしが勝手にAさんに会うということだって、Aさんと私が会うことには、変わりあるけれどもそれにしたって、変わりないのではないの……。

チカチカ眩暈を感じる思いで気がつくと朝になり、「昨日こうこう言っているのを聞いたけど誰に会ってたの?」と聞くと、やはり相手は覚えていないどころか、「自分は夢をみない」と言うのであって、はてその記憶と夢のすき間で、ご飯を買いに行っただろうだれかは一体だれであって、今何をしているのだろうなとわたしは軽く混乱した。


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うわごと

よくあるテレビドラマ、閉じこめられた8人(何人でもいいけれど)、巻き起こる殺人事件。
8人の中で、背格好の似た人物におなじかっこうをさせて犯人なりなんなりがすりかえてしまう、というようなトリック。のようなものがあったとして、そんなにかんたんに見間違えるのかしら、いくらなんでも違う人なのに、8人ぐらいだったら背格好って結構違うし区別はつくのじゃないのかしら、と思ってしまうわたしなのだけれど、先日部屋で寒さに耐えかねた恋人が、わたしの帽子を被っているのを見て、ふいにびっくりするほど自分に見えて、そういえばそのとき彼がしていためがねのフレームのかたちもちょっと似ていたのだけど、性別も顔だちも異なるのにまさか自分に見えるなんてと驚いて、「だれかとだれかが似ている」ことは随分と簡単なことによると思った。だれかが自分に見えるって本当に気持ちの悪いことで、そのハードルの意外な低さに脅えてしまった。

友人男女二人が駅の階段を降りてくるのを、おかしいな、なんだかまるで恋人同士のようだと思って随分ふしぎな気持ちで見ているある日の記憶。
二人とも以前から知っていて、そろっておなじ空間にいたことも何度も何度もあって、女の子の実際の恋人の顏も知っているのに、なぜか階段を降りてくる二人は「二人組」としてしっくりきて、しっくりすると思った瞬間から、ぶわっと、あれもこれも共通している、リンクしている、とどんどん思いはじめるて、たしかにあったはずの境界がどんどん更新されていく感じ、どんどん奇妙な気持ちになっていった。

ところでわたしは友達の顏を覚えていない。

たとえば小学校のころを思い出す。みんなうんと子供の顏をしていたはずだった、でもどうしてか、十歳かそこらの子供たちがたくさんいてそのすべてが他人だったころを思い起こすことができない。イメージの中で、その骨格が、その肌が、そのかたちはもううんと違うものになってしまっている。もう何年も何年も卒業アルバムを開いてなどいないけれども、もうあのころの風景でしかなくなってしまった彼らが、うんと当たり前の子供の顏で写真に写っていたらどうしようと少し脅える。
そんなわけなかったじゃない、あなたたちはそんなわけがなかったじゃないか、ときっと思ってしまうだろう。
その肉体、その背丈、その重量。
そんなことは本当にあったのだったかな。みんな本当にいたのだったか。いたのだとしても、一枚の紙みたいになくなってしまったのではないのか。わたしが勝手に見たつもりになっているだけなのではないか。本当は、あのころのみんなに本当は何があって、わたしは彼らに何をして、何をされて、何をしないで、喜びは何で悲しみはどんなで、どうして一緒にいたのだろう。

みなが方言だったはずだけれど、彼らが何をどうやってどのような態度と音程で話していたのか、思い出すことができない。

わたしはまだまだ、ものを選べない焦燥感の中で、服の着方も食事の仕方も見失ったままに、不必要な実験を繰り返しながら、ふとした一日に急に自分がどうしようもなく自分自身から見放されていた十代の自分を生きているような気持ちになって、慌てて2011年の自分のコスプレをし直すのを、繰り返しているような。という怠惰のうわごと。

近所の理容室のガラスごし、中にいつも年をとった柴犬がいて、おっとりと眠り、時折目をあけて、もの静かに外を眺めている。
客も主人もそれが当然のようで、犬もしっぽを振ったりしない。
犬の寝床はとてもあたたかく作ってある。

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用意のある自分、ない自分

以前、妹の暮らす部屋にむかい、夜のモノレールに乗っていたときのこと。
乗車してしばらくしたとき、ふとまわりの雰囲気がおかしくなった。

まず急にとても静かになった。
顏をあげると、横に立っている中年の男女二人組が、眉をひそめ、ため息をついたりしている。
ギターを背中に背負った学生グループが、ヒソヒソと話をしている。……露骨な笑い声。別のグループは時折、わざとらしいせき払いをして喉を殺して笑い合っている。
端のほうの席に座っていた若い男の子が「あ!」と唐突に大声をあげる。
乗客が皆そっちを見ると、何事もなかったように彼はそっぽを向いてしまう。しばらくすると彼はニヤニヤ笑いを浮かべている。隣の連れらしき男の子も笑っている。

モノレールは静かに進む。
窓の外は平日の郊外の夜だ。

なんだろう? この感じ。
どこか懐かしい嫌な感じ。わたしは少し動揺する。
まるで皆がそろって、「誰かを舐めている」かのよう。
皆が同じ誰かを意識している。なのに、意識していないかのようなふりをしている。
そしてそのことを隠していない。
誰かを挑発している。あるいは責めている……? からかっている。
でもそこには、その「誰か」本人が気づいて、自分のことかと周囲に問いただしても、皆が無視をして本人の勘違いにしてしまうような、白々しい威圧感がある。

わたしはすぐにまず、自分がその対象になってはいないかと不安になった。
同時に、この空気を感じた自分が何か勘違いをしているのではないかとも一瞬思った。
だってここは、あの息苦しかった中学校ではなく、東京のモノレールの中なのだから。

乗客はそれなりに多かった。不自然なほどの沈黙の合間に、ギターを背負った少年が、鼻をわざとらしくつまんで上をむくのが見えた。まわりの男女数人が笑っている。女の子が笑いながら、「もーやめなよ気づくよ」「悪いじゃん」とかなんとか言っている。
一体なんだろう?

見回してようやく気づいた。
出入り口のところにうずくまっているスーツ姿のひとりの女性がいる。
そこでわたしはようやく気づく。そういえば少し、異臭がする。
二十代後半ぐらいだろうか。彼女は嘔吐したらしかった。

もう随分時間が経っているようだ。全く気づかなかった。
隣に立っているサラリーマン男性が、ティッシュを彼女に渡している。彼女は頭を下げて、床をふいている。
ふいたティッシュを入れるために、男性が会社名のついた大きな紙封筒をクリアファイルから出して彼女に渡すのを見て、ああ、機転がきく人だなあ、とわたしは感心する。
隣のため息をついていた中年男女が迷惑そうにうずくまる女性を眺めている。中年女性のほうが、「ほんと最悪よねぇ」と男性に言う。
偏った考えかもしれないけれど、若いサラリーマンの男性がほんの2,3歩先で彼女の助けになっているときに、女の先輩である人がとる態度だろうか、と少し思う。

べつに皆が彼女に優しくするのが普通だとか、そうしないから冷たいとは思わない。
だからこそ車内がなんらかの雰囲気に満たされているのが意外ではあった。
迷惑がったり、嫌がったり、無関心に徹したり、避けて移動したりするならまだしも、なんだろうこの空気。なんというか、わたしは東京の電車でそういう一体感めいたもの、一定の感じに統一された支配的な雰囲気を感じたことがなかった。

隣の車両に行くこともできる。
なのにわざわざその場に留まって、彼女を消費しているようなこの状態はなんだろう? 迷惑を訴えるならまだしも、そろって彼女をあげつらっているようなこの感じ。
そんな妙な「なれなれしさ」を、わたしは東京の電車で感じたことがそれまでなかった。

かばんをあさって、何か使えるものがないか探してみる。
さすがに一緒にふくことは出来ないけど、彼女が動けるならティッシュはたくさんあったほうがいいだろう。
……が、何もない。
軽いショック。
若いサラリーマンの男性が、ティッシュや封筒を提供できているというのに、わたしは何も持ってない。自分がティッシュがさっと出てこない女なんだとこういうときに思い知らされる。街角でティッシュをもらっておけばよかった。

女性はむこうを向いたまま、のろのろと手を動かしている。
そうするうちに、ようやく車両の乗客が減ってくる。隣の車両に移動しているのだ。
匂いが辛くなった人もいるだろうし、留まって観客になってしまっていることに気がひけた人もいたと思う。迷惑だと思った人もいるだろう。
でも彼女のそばの席に座っている中年の男女はなぜか移動せず、鼻をおさえてにらむように女性を見つめ続けている。
若いサラリーマンの男性が目的の駅で降り、車内はまた静まり返る。
クスクスと笑い声。

どうしようかとまた少し考える。
自分は彼女が迷惑だろうか、迷惑だと思えば移動すればいいと少し考え、別にたいして迷惑だとも思ってないよなあ、と思う。そういうことってどんなになくしようとしても誰にでもあり得ることだと思うし、実際あったからといって自分はそれほど気にならないのだ。
別に自分にかかったとかいう直接性もなかった。
かばんからはやっぱり何も出てこない。降りる駅は近い。
何もしないのに、大丈夫かと声をかけるのも、賑やかすだけなように思える。
彼女はあまり見られたくないかもしれない。

そうこうしているうちに、向かい側に座っていたスーツ姿の中年女性が、よし!とばかりにすっくと立ち上がり、彼女にさっと歩み寄り、「あなた、これ使いなさいね」とハッキリとしたよく通る声で言い、ウェットティッシュをとりだし、何枚か抜いてさし出した。
「まず手とか拭きなさい」と言って隣に立っている。力強い態度だった。わたしはまず、その出てきたのが『ウェット』ティッシュだという用意のよさに驚いてしまう。なんだか知らないけど、おお、さすがだ、と思う。

そうこうするうちに、わたしは目的の駅に着いた。
自分の出来る範囲のことで、結局できることが何もみつけられなかったな……と思いながら、出入り口を通るときに、わたしは水をうたれたような気分になった。
近くで見た女性は想像していた以上に蒼白だった。
彼女はもう中年女性に肩を支えていてもらわないと座っていることもおぼつかない。化粧気のない顏がうつろだ。
彼女の身体で隠れて見えなかった床は、思っていた以上に汚れている。
彼女が手を動かしていたから、自分で始末できるぐらいなのだろうと思っていたのは全く間違いだった。手はなんとか動かしていただけらしく、掃除なんて少しも出来ていなかった。

周囲の状況から、なんとなく、ちょっと酔っぱらった女性が吐いたのだ、そんな女性を皆でそんなに辱めなくても別にいいじゃないか、ぐらいに思っていた。
彼女が酔っ払いだとは限らないではないか。
と同時に、酔っぱらった女性が吐いたとしたって、それがたいしたことではないということには全くならない。それはそれ以上でもそれ以下でもない。

提供できるものがあるだろうかとか、一緒に嘔吐物を拭くことはできないなとか、他の人の態度に対するリアクションしか考えていなかった自分を反省した。
やることは、他にいくらでもあったはずだ。
「大丈夫ですか。駅員さん呼びましょうか」
言いながら今更だなあ!と、自分の役のたたなさにあぜんとする。
女性の肩を支えながら、中年女性が、「あなたどこまで行くの」と女性に聞く。彼女はもやもやと何か言うけれど言葉になっていない。もう一度聞くと聞きなれない駅名を彼女は言った。
中年女性が頷いて、「あなたはもう行きなさい、ここは大丈夫だから」とわたしを真っ直ぐ見て言った。

無力。
はい、と頷いた目の前でドアが閉まる。

全部後手後手にしかならなかった自分を省みて、風通しのいいホームに立ち尽くしていると、同じ駅ではさっきのギターの青年のグループが降りていた。一旦降りて、次のモノレールに乗るつもりらしかった。
彼らは笑いながら、「ありえないよなー、すごい匂いだったなあ!」「マジで最悪!」などと話し合っている。「○○がいろいろ言ったりやったりするから、笑いこらえるの大変だったんだよ!」と女の子。ひとしきり状況を笑ったあとに、彼女は言う。
「でもあのおばさんとか!あんなことできるなんて偉いよね〜尊敬するよ、素敵だよね!」

その通りだけれど。
彼女を誰より笑っていたがわなのに、それらしくいいことを言うだけで、自分は安全な位置戻ったつもりなのかとわたしはちょっと思ってしまう。

思いながら、結局わたしも、その状況に個人的に対抗したかっただけで、彼女の力になりたかったわけでも、助けになろうとしたわけでもなかったことを考える。
彼女をそっちのけに、場の大げさな空気とばかり自分がつきあっていただけだった。彼女を消費していたのは、わたしだって同じこと。自分だけ彼女を傷つけるがわにまわらないようにしようとする傲慢さは、彼女を利用しているのにかわりはないだろう。

妹に会い、彼女が告げた駅名を聞くと、「結構遠い」とのこと。

あの中年女性、あの毅然とした、「任された」態度を、「大丈夫だから」というその言葉の響きの大丈夫っぷりを思い出し、彼女がどこへ向かっていたのかを思う。その駅まで行っていたら、多分終電はないだろう。

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線を越える




幸福を歌っている歌を聞いているはずなのに、逆に辛くなることがある。

幸せな歌が嫌いだ、というのではなく、その幸せを語る言葉の狭さにからめとられ、息詰まってしまうのだ。
人を明るい気持ちにさせる「うた」って、暗くさせたり不快にさせたりするよりずっと難しいのではないかと思う。

『メトロポリタン美術館』は、小さいころは怖いと思って見ていた記憶があるのだけど、とても好きで、何度も何度も見た。
放映される時間には必ずテレビの前に座って見ていた。
映像の細部までよく覚えている。
超越性に惹かれていたのかなあ。今とあまり変わらない。

歌い手は新居昭乃だったのか。気がつかなかった。
http://doorkaradoor.blog.shinobi.jp/Entry/27/のころ聞いていた歌い手です。
安藤裕子のサポートや、05年からはCHARAと組んで歌ってもいるらしい。菅野よう子の曲も多く歌っています。

自分の人生のごく初期に、そうと知らずに彼女の歌を夢中で聞いていたんだな…。

彼女の歌が好きでならない、というわけでもなかったから、ふしぎな気持ち。
通り過ぎてばかりだと思っていた日々に、目が合ったことが何度もあったんだ。気づかなかったけれど。
わたしが忘れてしまっている人も、わたしのことを覚えているのかもしれない。
その記憶をただただ恐れてしまうけれど、中にはそう悪くないものもあるだろうか。
そうだといいけれど。

紅茶にすりおろした生姜を入れて頻繁に飲むようにしている。
続けていると身体があたたまりやすくなる、ということ。

ホッカイロはあたたかいけど、ゆたんぼのほうが確実な、精神的なあたたかさだ。
同じ熱なのになぜだろう。


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二十年の誤解




先日、昼すぎに新宿で立ち寄ったラーメン屋。

本当は別の鳥料理の店を目指していたのだけれど、さわぎがあったらしく、道ごと警察とやじ馬に封鎖されていて入れず、一本横の道で空いていた店に入ったのだった。

使い込んだ釜で麺を茹でているおばさんに、いつからやっているのかたずねると、「50年」とあっさりとこたえる。
おばさんの夫が打ったというびっくりするほど美味しい手打ち麺をすすっていると、「警察がそのあたりにきて騒ぎになってるの? ふーん。昔はしょっちゅう喧嘩だの人刺したの何ので、パトカーや救急車は毎日だったから、わたしなんかはいちいち、なんとも思わないね。そのぐらいで大騒ぎになるなんてね。今は静かになったよね」とおばさんが言う。「そのかわり最近はこのあたりは外国人に有名になっちゃってね。ガイドブック持っていろんな人が来るよ」
「言葉に困ったりしない?」と聞くと、「困っても覚えない」とおばさんは笑う。
うどん屋やラーメン屋ではたらく女性は、肌がつやつやしている印象がある。大量の蒸気をいつも浴びるからだろうか。おばさんも、みずみずしくハリのある肌をしていた。
店先にひょいと現れた小柄なおじさんに、おばさんがビールを持っていく。常連であるらしい。おじさんが頼んだギョウザを見ると、ひとつひとつが大きくパリっとしている。「それおいしそうだね?」と聞くと「もちろん」と言うので自分も頼むと、おじさんがビールを一本奢ってくれた。

もう何年も前、本当に何ひとつ知らなかった自分が、はじめて新宿を訪れたときには、既に都の方針でキャッチをはじめとしたいろんなことが禁止されていたようだった。街の人たちは「随分静かになった」と言っていた。ほんの少し前、城咲仁が大名行列のように歌舞伎町を練り歩いていたころの話や、それ以前、『新宿鮫』的なころの話をいくつか聞いたけど、既に遠く伝説めいて聞こえた。
最近ではキャバクラも一時期の盛り上がりが嘘のように、店側も客側もコストのかからないガールズバー等にシフトしているらしく、夜にふと通り過ぎた歌舞伎町は閑散としていた。もちろん、新宿には深い深い奥行きがあるだろうから、分からないことのほうがずっと多いけれど。

数日前、奈良で立ち寄った店に『シティーハンター』があったので、煮詰まった珈琲をなめながらぺらぺらと一巻をめくってみた。そうしてしばらく読み進めると、主人公サエバリョウがさくっと人を殺してしまい、そのことにあまりにも驚いて思わず声を出してしまった。冒頭の、サエバが女性に殺しの依頼を受けているシーンを読んでも「この依頼にはいろいろな誤解が重なっていて、その誤解をサエバが華麗に明らかにし、依頼者の殺人衝動を解消、カタルシスを迎えるのだろう」と呑気に思っていた。しかし、エピソードの後半で、サエバが陽気によく喋りながら、笑顔で、ゴルゴのようにさっくりと注文通りにターゲットを殺してしまったことには。

一人あぜんとしているところに、
「どうしたの?」と言われ、
「いや、シティーハンターが人を殺しちゃったんだよね」とこたえると
「……それが???」
誤解がとけるのは自分のほうでした。
実は読んだことも、アニメを観たこともなかった。しかし、ざっと二十年は勘違いしていました。「新宿のトラブル請負人」というから、難題も引き受ける私立探偵か何かだと思っていた。
シティーハンターって暗殺者だったのか。
個人的にはシャーロック・ホームズが探偵というのは勘違いです、暗殺者ですよ、と言われるほどのギャップだけど、こういう驚きは自分本位のことでしかないので、他人には「だから?」としかならないだろう…。キャラクターイメージや世界観が自分の中で華やかで明るいものだったので、思ったよりど真ん中に「裏社会もの」なことに驚いてしまった。依頼されて殺すっていうストレートさにも。なんとなく、最後にはサエバが、「あとは警察にまかせて行こう」って言いそうなイメージがあったのだ。

「新宿東口の黒板に書くとシティーハンターと繋がりが持てる」というのも、腕利きの探偵とのコンタクト方法だと思っていた。殺人者とコンタクトするには、方法がオープンすぎるように思えて、全く疑ったことがなかった。でも、連載当時には、インターネットや携帯電話というのはまだ一般的ではなかっただろうし、新宿や歌舞伎町も今とは違うものだったんだろう。

それにしても、巻末の読者からの手紙紹介で、 十二、三歳の女の子たちが、主人公に熱烈なラブレターを綴っているのには、ほほえましいような時代を感じるような、いつの時代も同じなような。当時で、少女だからこそ、そういう手紙を送ることができてしまうのだろうと思うと、その感じが懐かしくも羨ましくもある。「リョウ様にわたしの名前を呼んでほしい、ささやいてほしい」とか少女たちが言っているのには、ちょっと照れてしまいました。

今、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』を見返すと、池袋を知る前にはドラマのために用意されたファンタジーだと思っていた部分の多くが、当時の池袋そのもので出来ていたのだろうことに気づいて驚く。池袋という架空の街を一からでっちあげたのではなく、そのままの街の力を使った作品だったんだと気づかされる。

支離滅裂になってきたのでこのあたりで。

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