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脱ぎ捨てられる昨日

door to door

   

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渋谷で昔

2、3年前、渋谷で、初めて大規模なデモに遭遇したときのこと。



デモに対して歩道から野次をとばした人がいたか何かで、デモ隊のうちの人の一人がその人に殴りかかり、あるいは、デモに対して歩道から誰かが殴りかかったのかもしれない、それをきっかけにわっと人が群がって怒鳴り声、暴力、そしてコンビニのガラスが割れて……という騒動を見ました。

ガラスが割れるまでは一瞬でした。

ガラスの割れる音は大きく、いっそう場はざわめいて、後は確認していないのでわかりません。



そのときわたしは問題の起きている歩道とは反対側を歩いていて(車道そのものはデモの人たちがいた)、トラブルに思わず足が止まってしまいました。

上手く言えないのですが、とっさの一瞬、足を止めて「眺めて」しまった。



でもそのとっさの、トラブルが起きた一瞬とその直後、周辺を歩いていた人の反応ははっきりわかれました。



トラブルに足を止め、その場で眺めたままの人。

ゆっくりと、わたしがいるところぐらいまで歩いて距離をとってから、あらためて眺めようとする人。

むしろ、何が起きているのか確認しよう、もっとよく見ようと、近付いていく人。



でもそんな中、はじかれたように全速力で走り出したのは外国人たち。

「このトラブルはどうなる、大きく広がるのかどうか」というのを確認するより何より、彼らはガラスが割れたかどうか、というころにはもうその場を離れはじめていました。

ある女性はサンダルを脱いで、一緒にいた男性が腕を引いて、一目散に。

ある若い男性は電話を耳にあて、タバコを持ったまま。

ある女性は足早に路地へ逃げていく。



わたしは恥ずかしいことにそれを見てから、つられる形でその場を離れました。

むしろその場にゆっくりと人は集まろう、としていたので、自分だけ逆行している感じで不思議だった。



もちろん大きなトラブルではないかもしれず、それ以上何か起きるということもなかったのかもしれないけど、今でも「そんなことを確認するよりも反射で逃げる、まずその場を離れる」決断をしたあの外国人たちと、そうでない自分の……危機感のようなものの違いを考えてしまうことがある。


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とある日(1)

上本町で降りる。
休日のビジネス街は風通しがいい。寒いけど晴れきっていた。
早めに用事が済んでしまったので、せっかく体が空いたなら町歩きをしようかと堀江のほうへ向かって歩き出す。通りがかったコーヒーショップでブレンドをもらい、すぐに逃げていってしまう熱を追いかけて飲みながら歩く。
道が広くて歩きやすい。低いヒールにスーツ姿の女性が、襟元にファーのマフラーをざっくりと巻いただけで、ベビーカーを押していく。

途中、朝の十一時だというのに、人でぱんぱんになっている狭い立ち飲み屋を路地裏に見つける。まわりに他に開いている店はない。
入れ替わり立ち替わりしている。もちろんお客さんは、この時間から飲んでいる正体不明のおじさんたちだ。しかし、失礼ながら、これまで見た中ではどんな町のどの店のおじさんたちよりそういう感じに見える。蒲田や赤羽、新宿……。ほぼ全員がお酒を持っていないほうの手に競馬新聞を、そうでない場合は煙草を持っている。近くにウインズがあるようだ。
人によってはこの店を店としては目に止めないかもしれない。怪しいごちゃごちゃの風景のひとつとして、永遠に風景のままかもしれない。実際、見てまず思ったのは、「これで店として営業しているということになるのか、すごい」だった。
立ち飲み屋というのは、そもそもははじめは、酒屋の店先で始まった商売なんだそうだ。お客が酒屋にきて、ビールとかカップ酒を買って店先で飲むのに、ちょっとしたつまみが出始める。
その店もどうやら酒屋だったらしい。というか中はほとんど酒屋だ。
業務用の冷蔵庫、コンビニでペットボトル飲料を並べておいているガラスのやつがお客さんの背後にどんと置かれて、中がビールとワイン埋まっている。
ちなみに店内の光源はそれだけのようだ。
奥でブラウン管のテレビがチカチカ光っている。
店先に並んだいくつかの自動販売機ももちろんビールの自動販売機で、中から出てきたおじさんが補充していく。買って、飲みながら路地裏を歩いていく人を想像するうちに、通りすがりのおじさんが小銭を入れる。ごとんごとん。
ロング缶。
奥で和服に割烹着姿の中年女性がこまごまと動いている。
真っ赤な口紅の塗られた口角がぴっと上がっている。おろした髪のはしっこがはねていた。

大衆居酒屋も随分寄ってきたけど、この店に入ったら日本でもう入れない店はないんじゃないかともちょっと思う店だった。たいていの「入りにくい感じ」な店には入れるようになったと思う。
でも「牛丼屋に一人で入れるかどうか?」みたいな会話なんてメタから無意味にしてしまうたたずまいだ。
酒屋の入り口が立ちのみ屋になっている店も寄ったことがある。でもそういったものとも一線を画している。
自分一人や、連れが女性だったら入ろうとは思わないと思う。
しかし同行者は、ちょっと入ってみたそうにしている。でも場違いさを感じて抵抗があるみたいだ。
入ったら店やお客さんに悪いんじゃないかなあ、という感じ。
女性なら、「連れてこられたがわ」の顏をしていられるけど、男性は入ったら入った人間として様子を整えなければならないから、気後れもするのかもしれない。

その達観したたたずまいに圧倒されていると、中から出てきたお客さんの一人が
「おお、あんたらどないしたんや、何しとるんやそんなとこで」。
「こういうお店に入ってみたいなと思って見てたんだけど、ちょっと敷居が高い気がして入りにくいなと思ってたんだ」
「なんや、ここの敷居が高いなんてわけがあるかいな。どこに敷居が高いんや! この店はいいで! 素晴らしいで! 一番高い美味い酒頼んでも……250円や! 250円でええ酒が飲めるんやで〜」
ご機嫌だ。
そしてコテコテだ。
「おじさんまるでこのお店の客引きみたいだね」
「わしはただの客やで〜もう一杯やってきたもんでな〜」
「おじさんはこれからどうするの?」と聞くと、
「わしか? わしは今からコレや、パチンコや〜」と、金歯を見せて笑って細い道を挟んで目の前のパチンコ屋の裏口に吸い込まれていった。
徹底している。

思い切って入り口を開けると、中のおじさんたちが振り返ってちょっと静まった。
「注文どうしたらいいですか? 先払いですか?」と聞くと、カウンターらしきものの中でおじさんが五度ほど首をかしげる。ようはほとんど動いていないということだけど。
「勝手に取っていいの?」と聞いても、そのままだ。
高まるアウェイ感。
横にいたお客さんの一人が、「ここはアメリカ式やで〜」と笑って言ってくれる。
アメリカ式。
アメリカ式かあ。
エビスとサッポロ黒ラベルをとって小銭をカウンターに置くと、しばらくしてひっそりと小銭が回収されていた。
カウンターの中のおじさんには気配がないらしい。
「注文いいですか?」と聞くとおじさんはどこかよく分からないところを見て、震え過ぎているように見える手でなにやら作業中。
聞こえてるのかさえ不明なまますじ肉ポン酢と塩辛を頼むと、奥のほうへ行ってしまった。
注文が通ったのかどうかよく分からない。ちなみにまだおじさんの声を全く聞いてない。
目の前には缶詰めが山積みで、奥にはカップ麺が山積みだ。顏をあげると、上の棚に謎の茶色い瓶が十本ほど並び、かなりざっくばらんにガムテープが張られた上に黒いマジックで「セロリ」「にんにく」「しょうが」「アロエ」などと書かれている。
自家製酒らしい。
セロリ。

5分もすると状況が分かってきた。
多分ふだん、注文について聞いてきたりする人はいないのだ。
もっとお客さんは適当だ。勝手に飲んで後で缶を数えて払う人もいれば、先に払ってしまう人もいる。手を伸ばして缶詰めを自分で開けている人もいる。

隣にいるおじさん三人は、最近の風俗やキャバクラのサービスと昔の違いと、競馬の話をずっとしている。
「昔は横に座って喋るとこでも、ちょっと奥いきましょか〜とかあったんやで」「俺のころはなあ」「そないか、じゃああれか、今ようやっとるあれはキャバクラと変わらんのやな」「変わらん変わらん」「なんやそうかいな」
なにかがこの店に凝縮されている。

おじさんがレンジに放り込んでおいたまま放置していた小鉢を、奥から出てきた女性が出してくれる。あ、すじ肉ポン酢。
おじさんは女性に何か言うとそのまま奥に上がっていってしまった。
おじさんの右手にお酒の缶が見えたのは気のせいかなぁ。
どうも女性がお手洗いか何かに行っている間だけ店に出ていただけらしい。
あのおじさんは絶対に普段店を女性に任せっぱなしだと思うな。

中年女性はおじさんとは対極の明るい開かれた笑顔で、「楽にしてね〜、うちで緊張なんてしないでね」「なんか足りないものない?」と話しかけてくれた。

すじ肉ポン酢は美味しかった。

これまでいろんな風にすじ肉を炊いたのを食べたけど、凄い旨味。使っているお肉は国産だろうけど、油がたっぷりついているところを使っていて、それがイヤじゃない。ポン酢はきつい味がして、しっかりと甘かった。
塩辛も、お手製ではないけど甘味がひかえめでこゆい。たっぷり入っている。
突然世界のスイッチが切り替わってしまったような、異邦人になったような、ムーンサイドに入ってしまったような刺激を感じながらすじ肉をつまむ。

子供のころ、祖父母の家の近所にあってよく通った米屋件駄菓子屋を思い出す。
売っているものが少なくて、駄菓子もちょっとしなびていて、いるのはいつも大人たちで、子供ながらになんだか自分にピタっとこないな、と思っていた。
祖母に連れられて、軽い居心地の悪さを感じながら中に入った。買ってもらったお菓子を開けて食べるときの、なんだか緊張したときめき。
そのうち好きなお菓子がいくつもできて、自分から祖母に行くのをねだるようになったけれど、やっぱり自分の本当の居場所のようには思えずに、いつか行かなくなった。
そう古くない店なのに、隅の方にふしぎな闇を感じたあの店は今はまだあるのかなあ。

今になって、あの店先でお酒を飲んでいるみたいな違和感だ。

さくっと飲んで店を出る。美味しいけれど、不思議とたくさん食べたいとか、長居したいとか思わない。けれど満たされていないわけでもない。
会計は830円だった。

それにしてもアルコール中毒者を集めそうなお店だった。


***


堀江からアメ村へ歩く。

セールの時期だから、前に来たよりずっと人が溢れている。
以前来たときには閉まっていたセレクトショップも開いて、路上には思い思いの格好をした人たちが歩いている。
幅がある。
ざっくばらんな格好の人もいれば、奇麗目な人もいるし、威圧感がある人もいる。久しぶりに目の回りが真っ黒な女の子と何人もすれ違う。金髪の子も多い。子連れの夫婦もタフに路地を歩いている。

同行者が前に見て気になっていたという奥まったところにあるヴィンテージ家具の店に入る。

雑居ビルの二階をまるまる使っている家具屋は、外が嘘のように静かだった。
音楽もかかっていない。
それぞれの部屋の扉はとっぱらわれている。
それぞれの部屋に、今は使われていない、積まれた家具の山。

家具屋に行くと、たいてい自分が使うには不向きに思うことが多かったけど、この店で、これまでどこかで丁寧に使われただろうその丁寧さの名残を表面に感じさせる家具が積んであるのをひとつひとつ見ていると、自分がふと繋がっていく感じがした。
使われるための家具が集められているのが肌で分かる。
どこかに自分のこれからの人生のための家具があるような気がしてくる。そう長くはないそっけない過去を連れて。
よくわからないけれど、北欧中心なのかな。
わずかに忘れられたように、片隅のテーブルの上にカップとソーサーが並んでいた。ほんの4、5セット。これしか売っていないようだ。近いデザインのものを奈良のショップで見た。
空き家のような雰囲気に、誰もいないと思ってまわりを見回すと、眼鏡をかけた、ヒゲのカッチリと細身の男性がひっそりとレジにいてどきっとした。
目が会うとほんのわずか表情を緩めてくれて、またそのまま静かになった。



十歳を過ぎたぐらいの小柄な男の子二人が、身体に対してずいぶん大きな、エクストララージの福袋を背負って歩いていく。
二人とも体にジャストサイズのジーンズをきりっとはいて、きれいなシューズをはいている。カラフルなダウンジャケットの前を開けて、中には自分で選んだんだろうブランドのシャツを着ていた。
キャップをかぶって歩く目に迷いがない。
きりっとして、町に来慣れた様子で歩く姿がかっこいい。

友達なんだね。

次はどこの店に行くのかな。

羨ましいな。

その小さい背中を見送っているうちに、寒くなってきた。
今年の寒さに対応できるアウターを持っていないのだ。

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用意のある自分、ない自分

以前、妹の暮らす部屋にむかい、夜のモノレールに乗っていたときのこと。
乗車してしばらくしたとき、ふとまわりの雰囲気がおかしくなった。

まず急にとても静かになった。
顏をあげると、横に立っている中年の男女二人組が、眉をひそめ、ため息をついたりしている。
ギターを背中に背負った学生グループが、ヒソヒソと話をしている。……露骨な笑い声。別のグループは時折、わざとらしいせき払いをして喉を殺して笑い合っている。
端のほうの席に座っていた若い男の子が「あ!」と唐突に大声をあげる。
乗客が皆そっちを見ると、何事もなかったように彼はそっぽを向いてしまう。しばらくすると彼はニヤニヤ笑いを浮かべている。隣の連れらしき男の子も笑っている。

モノレールは静かに進む。
窓の外は平日の郊外の夜だ。

なんだろう? この感じ。
どこか懐かしい嫌な感じ。わたしは少し動揺する。
まるで皆がそろって、「誰かを舐めている」かのよう。
皆が同じ誰かを意識している。なのに、意識していないかのようなふりをしている。
そしてそのことを隠していない。
誰かを挑発している。あるいは責めている……? からかっている。
でもそこには、その「誰か」本人が気づいて、自分のことかと周囲に問いただしても、皆が無視をして本人の勘違いにしてしまうような、白々しい威圧感がある。

わたしはすぐにまず、自分がその対象になってはいないかと不安になった。
同時に、この空気を感じた自分が何か勘違いをしているのではないかとも一瞬思った。
だってここは、あの息苦しかった中学校ではなく、東京のモノレールの中なのだから。

乗客はそれなりに多かった。不自然なほどの沈黙の合間に、ギターを背負った少年が、鼻をわざとらしくつまんで上をむくのが見えた。まわりの男女数人が笑っている。女の子が笑いながら、「もーやめなよ気づくよ」「悪いじゃん」とかなんとか言っている。
一体なんだろう?

見回してようやく気づいた。
出入り口のところにうずくまっているスーツ姿のひとりの女性がいる。
そこでわたしはようやく気づく。そういえば少し、異臭がする。
二十代後半ぐらいだろうか。彼女は嘔吐したらしかった。

もう随分時間が経っているようだ。全く気づかなかった。
隣に立っているサラリーマン男性が、ティッシュを彼女に渡している。彼女は頭を下げて、床をふいている。
ふいたティッシュを入れるために、男性が会社名のついた大きな紙封筒をクリアファイルから出して彼女に渡すのを見て、ああ、機転がきく人だなあ、とわたしは感心する。
隣のため息をついていた中年男女が迷惑そうにうずくまる女性を眺めている。中年女性のほうが、「ほんと最悪よねぇ」と男性に言う。
偏った考えかもしれないけれど、若いサラリーマンの男性がほんの2,3歩先で彼女の助けになっているときに、女の先輩である人がとる態度だろうか、と少し思う。

べつに皆が彼女に優しくするのが普通だとか、そうしないから冷たいとは思わない。
だからこそ車内がなんらかの雰囲気に満たされているのが意外ではあった。
迷惑がったり、嫌がったり、無関心に徹したり、避けて移動したりするならまだしも、なんだろうこの空気。なんというか、わたしは東京の電車でそういう一体感めいたもの、一定の感じに統一された支配的な雰囲気を感じたことがなかった。

隣の車両に行くこともできる。
なのにわざわざその場に留まって、彼女を消費しているようなこの状態はなんだろう? 迷惑を訴えるならまだしも、そろって彼女をあげつらっているようなこの感じ。
そんな妙な「なれなれしさ」を、わたしは東京の電車で感じたことがそれまでなかった。

かばんをあさって、何か使えるものがないか探してみる。
さすがに一緒にふくことは出来ないけど、彼女が動けるならティッシュはたくさんあったほうがいいだろう。
……が、何もない。
軽いショック。
若いサラリーマンの男性が、ティッシュや封筒を提供できているというのに、わたしは何も持ってない。自分がティッシュがさっと出てこない女なんだとこういうときに思い知らされる。街角でティッシュをもらっておけばよかった。

女性はむこうを向いたまま、のろのろと手を動かしている。
そうするうちに、ようやく車両の乗客が減ってくる。隣の車両に移動しているのだ。
匂いが辛くなった人もいるだろうし、留まって観客になってしまっていることに気がひけた人もいたと思う。迷惑だと思った人もいるだろう。
でも彼女のそばの席に座っている中年の男女はなぜか移動せず、鼻をおさえてにらむように女性を見つめ続けている。
若いサラリーマンの男性が目的の駅で降り、車内はまた静まり返る。
クスクスと笑い声。

どうしようかとまた少し考える。
自分は彼女が迷惑だろうか、迷惑だと思えば移動すればいいと少し考え、別にたいして迷惑だとも思ってないよなあ、と思う。そういうことってどんなになくしようとしても誰にでもあり得ることだと思うし、実際あったからといって自分はそれほど気にならないのだ。
別に自分にかかったとかいう直接性もなかった。
かばんからはやっぱり何も出てこない。降りる駅は近い。
何もしないのに、大丈夫かと声をかけるのも、賑やかすだけなように思える。
彼女はあまり見られたくないかもしれない。

そうこうしているうちに、向かい側に座っていたスーツ姿の中年女性が、よし!とばかりにすっくと立ち上がり、彼女にさっと歩み寄り、「あなた、これ使いなさいね」とハッキリとしたよく通る声で言い、ウェットティッシュをとりだし、何枚か抜いてさし出した。
「まず手とか拭きなさい」と言って隣に立っている。力強い態度だった。わたしはまず、その出てきたのが『ウェット』ティッシュだという用意のよさに驚いてしまう。なんだか知らないけど、おお、さすがだ、と思う。

そうこうするうちに、わたしは目的の駅に着いた。
自分の出来る範囲のことで、結局できることが何もみつけられなかったな……と思いながら、出入り口を通るときに、わたしは水をうたれたような気分になった。
近くで見た女性は想像していた以上に蒼白だった。
彼女はもう中年女性に肩を支えていてもらわないと座っていることもおぼつかない。化粧気のない顏がうつろだ。
彼女の身体で隠れて見えなかった床は、思っていた以上に汚れている。
彼女が手を動かしていたから、自分で始末できるぐらいなのだろうと思っていたのは全く間違いだった。手はなんとか動かしていただけらしく、掃除なんて少しも出来ていなかった。

周囲の状況から、なんとなく、ちょっと酔っぱらった女性が吐いたのだ、そんな女性を皆でそんなに辱めなくても別にいいじゃないか、ぐらいに思っていた。
彼女が酔っ払いだとは限らないではないか。
と同時に、酔っぱらった女性が吐いたとしたって、それがたいしたことではないということには全くならない。それはそれ以上でもそれ以下でもない。

提供できるものがあるだろうかとか、一緒に嘔吐物を拭くことはできないなとか、他の人の態度に対するリアクションしか考えていなかった自分を反省した。
やることは、他にいくらでもあったはずだ。
「大丈夫ですか。駅員さん呼びましょうか」
言いながら今更だなあ!と、自分の役のたたなさにあぜんとする。
女性の肩を支えながら、中年女性が、「あなたどこまで行くの」と女性に聞く。彼女はもやもやと何か言うけれど言葉になっていない。もう一度聞くと聞きなれない駅名を彼女は言った。
中年女性が頷いて、「あなたはもう行きなさい、ここは大丈夫だから」とわたしを真っ直ぐ見て言った。

無力。
はい、と頷いた目の前でドアが閉まる。

全部後手後手にしかならなかった自分を省みて、風通しのいいホームに立ち尽くしていると、同じ駅ではさっきのギターの青年のグループが降りていた。一旦降りて、次のモノレールに乗るつもりらしかった。
彼らは笑いながら、「ありえないよなー、すごい匂いだったなあ!」「マジで最悪!」などと話し合っている。「○○がいろいろ言ったりやったりするから、笑いこらえるの大変だったんだよ!」と女の子。ひとしきり状況を笑ったあとに、彼女は言う。
「でもあのおばさんとか!あんなことできるなんて偉いよね〜尊敬するよ、素敵だよね!」

その通りだけれど。
彼女を誰より笑っていたがわなのに、それらしくいいことを言うだけで、自分は安全な位置戻ったつもりなのかとわたしはちょっと思ってしまう。

思いながら、結局わたしも、その状況に個人的に対抗したかっただけで、彼女の力になりたかったわけでも、助けになろうとしたわけでもなかったことを考える。
彼女をそっちのけに、場の大げさな空気とばかり自分がつきあっていただけだった。彼女を消費していたのは、わたしだって同じこと。自分だけ彼女を傷つけるがわにまわらないようにしようとする傲慢さは、彼女を利用しているのにかわりはないだろう。

妹に会い、彼女が告げた駅名を聞くと、「結構遠い」とのこと。

あの中年女性、あの毅然とした、「任された」態度を、「大丈夫だから」というその言葉の響きの大丈夫っぷりを思い出し、彼女がどこへ向かっていたのかを思う。その駅まで行っていたら、多分終電はないだろう。

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線を越える




幸福を歌っている歌を聞いているはずなのに、逆に辛くなることがある。

幸せな歌が嫌いだ、というのではなく、その幸せを語る言葉の狭さにからめとられ、息詰まってしまうのだ。
人を明るい気持ちにさせる「うた」って、暗くさせたり不快にさせたりするよりずっと難しいのではないかと思う。

『メトロポリタン美術館』は、小さいころは怖いと思って見ていた記憶があるのだけど、とても好きで、何度も何度も見た。
放映される時間には必ずテレビの前に座って見ていた。
映像の細部までよく覚えている。
超越性に惹かれていたのかなあ。今とあまり変わらない。

歌い手は新居昭乃だったのか。気がつかなかった。
http://doorkaradoor.blog.shinobi.jp/Entry/27/のころ聞いていた歌い手です。
安藤裕子のサポートや、05年からはCHARAと組んで歌ってもいるらしい。菅野よう子の曲も多く歌っています。

自分の人生のごく初期に、そうと知らずに彼女の歌を夢中で聞いていたんだな…。

彼女の歌が好きでならない、というわけでもなかったから、ふしぎな気持ち。
通り過ぎてばかりだと思っていた日々に、目が合ったことが何度もあったんだ。気づかなかったけれど。
わたしが忘れてしまっている人も、わたしのことを覚えているのかもしれない。
その記憶をただただ恐れてしまうけれど、中にはそう悪くないものもあるだろうか。
そうだといいけれど。

紅茶にすりおろした生姜を入れて頻繁に飲むようにしている。
続けていると身体があたたまりやすくなる、ということ。

ホッカイロはあたたかいけど、ゆたんぼのほうが確実な、精神的なあたたかさだ。
同じ熱なのになぜだろう。


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二十年の誤解




先日、昼すぎに新宿で立ち寄ったラーメン屋。

本当は別の鳥料理の店を目指していたのだけれど、さわぎがあったらしく、道ごと警察とやじ馬に封鎖されていて入れず、一本横の道で空いていた店に入ったのだった。

使い込んだ釜で麺を茹でているおばさんに、いつからやっているのかたずねると、「50年」とあっさりとこたえる。
おばさんの夫が打ったというびっくりするほど美味しい手打ち麺をすすっていると、「警察がそのあたりにきて騒ぎになってるの? ふーん。昔はしょっちゅう喧嘩だの人刺したの何ので、パトカーや救急車は毎日だったから、わたしなんかはいちいち、なんとも思わないね。そのぐらいで大騒ぎになるなんてね。今は静かになったよね」とおばさんが言う。「そのかわり最近はこのあたりは外国人に有名になっちゃってね。ガイドブック持っていろんな人が来るよ」
「言葉に困ったりしない?」と聞くと、「困っても覚えない」とおばさんは笑う。
うどん屋やラーメン屋ではたらく女性は、肌がつやつやしている印象がある。大量の蒸気をいつも浴びるからだろうか。おばさんも、みずみずしくハリのある肌をしていた。
店先にひょいと現れた小柄なおじさんに、おばさんがビールを持っていく。常連であるらしい。おじさんが頼んだギョウザを見ると、ひとつひとつが大きくパリっとしている。「それおいしそうだね?」と聞くと「もちろん」と言うので自分も頼むと、おじさんがビールを一本奢ってくれた。

もう何年も前、本当に何ひとつ知らなかった自分が、はじめて新宿を訪れたときには、既に都の方針でキャッチをはじめとしたいろんなことが禁止されていたようだった。街の人たちは「随分静かになった」と言っていた。ほんの少し前、城咲仁が大名行列のように歌舞伎町を練り歩いていたころの話や、それ以前、『新宿鮫』的なころの話をいくつか聞いたけど、既に遠く伝説めいて聞こえた。
最近ではキャバクラも一時期の盛り上がりが嘘のように、店側も客側もコストのかからないガールズバー等にシフトしているらしく、夜にふと通り過ぎた歌舞伎町は閑散としていた。もちろん、新宿には深い深い奥行きがあるだろうから、分からないことのほうがずっと多いけれど。

数日前、奈良で立ち寄った店に『シティーハンター』があったので、煮詰まった珈琲をなめながらぺらぺらと一巻をめくってみた。そうしてしばらく読み進めると、主人公サエバリョウがさくっと人を殺してしまい、そのことにあまりにも驚いて思わず声を出してしまった。冒頭の、サエバが女性に殺しの依頼を受けているシーンを読んでも「この依頼にはいろいろな誤解が重なっていて、その誤解をサエバが華麗に明らかにし、依頼者の殺人衝動を解消、カタルシスを迎えるのだろう」と呑気に思っていた。しかし、エピソードの後半で、サエバが陽気によく喋りながら、笑顔で、ゴルゴのようにさっくりと注文通りにターゲットを殺してしまったことには。

一人あぜんとしているところに、
「どうしたの?」と言われ、
「いや、シティーハンターが人を殺しちゃったんだよね」とこたえると
「……それが???」
誤解がとけるのは自分のほうでした。
実は読んだことも、アニメを観たこともなかった。しかし、ざっと二十年は勘違いしていました。「新宿のトラブル請負人」というから、難題も引き受ける私立探偵か何かだと思っていた。
シティーハンターって暗殺者だったのか。
個人的にはシャーロック・ホームズが探偵というのは勘違いです、暗殺者ですよ、と言われるほどのギャップだけど、こういう驚きは自分本位のことでしかないので、他人には「だから?」としかならないだろう…。キャラクターイメージや世界観が自分の中で華やかで明るいものだったので、思ったよりど真ん中に「裏社会もの」なことに驚いてしまった。依頼されて殺すっていうストレートさにも。なんとなく、最後にはサエバが、「あとは警察にまかせて行こう」って言いそうなイメージがあったのだ。

「新宿東口の黒板に書くとシティーハンターと繋がりが持てる」というのも、腕利きの探偵とのコンタクト方法だと思っていた。殺人者とコンタクトするには、方法がオープンすぎるように思えて、全く疑ったことがなかった。でも、連載当時には、インターネットや携帯電話というのはまだ一般的ではなかっただろうし、新宿や歌舞伎町も今とは違うものだったんだろう。

それにしても、巻末の読者からの手紙紹介で、 十二、三歳の女の子たちが、主人公に熱烈なラブレターを綴っているのには、ほほえましいような時代を感じるような、いつの時代も同じなような。当時で、少女だからこそ、そういう手紙を送ることができてしまうのだろうと思うと、その感じが懐かしくも羨ましくもある。「リョウ様にわたしの名前を呼んでほしい、ささやいてほしい」とか少女たちが言っているのには、ちょっと照れてしまいました。

今、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』を見返すと、池袋を知る前にはドラマのために用意されたファンタジーだと思っていた部分の多くが、当時の池袋そのもので出来ていたのだろうことに気づいて驚く。池袋という架空の街を一からでっちあげたのではなく、そのままの街の力を使った作品だったんだと気づかされる。

支離滅裂になってきたのでこのあたりで。

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