2、3年前、渋谷で、初めて大規模なデモに遭遇したときのこと。
デモに対して歩道から野次をとばした人がいたか何かで、デモ隊のうちの人の一人がその人に殴りかかり、あるいは、デモに対して歩道から誰かが殴りかかったのかもしれない、それをきっかけにわっと人が群がって怒鳴り声、暴力、そしてコンビニのガラスが割れて……という騒動を見ました。
ガラスが割れるまでは一瞬でした。
ガラスの割れる音は大きく、いっそう場はざわめいて、後は確認していないのでわかりません。
そのときわたしは問題の起きている歩道とは反対側を歩いていて(車道そのものはデモの人たちがいた)、トラブルに思わず足が止まってしまいました。
上手く言えないのですが、とっさの一瞬、足を止めて「眺めて」しまった。
でもそのとっさの、トラブルが起きた一瞬とその直後、周辺を歩いていた人の反応ははっきりわかれました。
トラブルに足を止め、その場で眺めたままの人。
ゆっくりと、わたしがいるところぐらいまで歩いて距離をとってから、あらためて眺めようとする人。
むしろ、何が起きているのか確認しよう、もっとよく見ようと、近付いていく人。
でもそんな中、はじかれたように全速力で走り出したのは外国人たち。
「このトラブルはどうなる、大きく広がるのかどうか」というのを確認するより何より、彼らはガラスが割れたかどうか、というころにはもうその場を離れはじめていました。
ある女性はサンダルを脱いで、一緒にいた男性が腕を引いて、一目散に。
ある若い男性は電話を耳にあて、タバコを持ったまま。
ある女性は足早に路地へ逃げていく。
わたしは恥ずかしいことにそれを見てから、つられる形でその場を離れました。
むしろその場にゆっくりと人は集まろう、としていたので、自分だけ逆行している感じで不思議だった。
もちろん大きなトラブルではないかもしれず、それ以上何か起きるということもなかったのかもしれないけど、今でも「そんなことを確認するよりも反射で逃げる、まずその場を離れる」決断をしたあの外国人たちと、そうでない自分の……危機感のようなものの違いを考えてしまうことがある。
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