自分用に保存しようかと思ったけれど、知り合いでだれか見る人がいるかもしれない、と思ったので日記に。
20代のはじめは、むしろこてっとしてるぐらいの化粧が好きだった。 フラットなのに色が薄く強い顏をしているから、当時はカチっと描かないとどうしても顏も自分も地味に感じられた。見慣れた自分の顏をハッキリ変えて、過去と現在を断絶させたかった、というのもあったんだろう。夜に人に会うことが多かったし、アルバイトなど環境の要求する方向性というものもあった。そういうものにある程度従って服や顏を選択できるのは、枠があるだけに楽ではあったし、そのことにいい意味でも悪い意味でも躍らされていたのもある。
まだ分かりやすいものしか分からないころだったし、分かりやすいものもなかなか上手くは分からなかった。持っているものも少なかった。
20代半ばになり、生活もファッションも全く変わり、ぼーっと経験で化粧をしようとすると時々とてもみっともない感じがする。存在や役割にふさわしくないような。
もうそろそろ、若い人たちの中で一番分かりやすく共有されている(ように感じられる)テンプレ顏にどうにか強引にねじ入ろうと足掻くのでなく、プライベートでも社会、世界における「自分の顏」というものを責任を持ってつくっていくべきなのだろう。二十歳ぐらいでできていた(ように見えた)人は凄いなあ。
丁寧に穏やかに、でも「シッカリ」とは思うけれど、イマイチビジョンがない。とりあえず、手入れされた落ち着いた身体と心が欲しいところ。
丁寧なおさらい。日常的な感じ。
モデルさんが見ていてしあわせになるかわいさ。 メイクしている男の人の喋り方と手つきがわかりやすく丁寧で癒される。大切に優しく寄り添っている感じがする。ちょっとゴージャス。
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COMMENT
無題
無題
テンプレ支配を過ぎつつあるのでしょうか。あと、使われているものややっていることが分かるようになったのもありますよね。怖じ気づかずにすむ。思うんですが、母親等に教えてもらえることがなく、与えてくれることもないものですから、もうちょっと入り口本なりなんなりあってもいいのでは?と思います。
嶋田さんもそうだけど、男性のヘアメイクさんやメイクさんって、結構大胆に仕上げるイメージ。女性はわりと客の注文に寄りそう感じで、男性は注文を聞きつつ自分の表現や「こっちのほうがいい」をひかずにやってくる感じがあります。勝手なイメージですが。
でも嶋田さんの手つき萌えます。「きれいにしたいんだろうなー」っておもう。
余談で昔の話ですが、いろんな人にヘアメイクしてもらっていたころ、神戸のヘアメイクさんは女性もやることがいかつかったです。「神戸女はうるさいから鍛えられる」って言ってました。出来が予想より華やかでした。