昨日難波に向かいながら、昔買ったブコウスキーの七十代のころの日記、『死をポケットに入れて』を読み返していたら、ブコウスキーが足のつめが痛むのに切る時間がないとキレていた。その日もぐだぐだ言ったあと、結局ブコウスキーは爪を切らずにベッドに入ってしまう。
「七十一歳になってもつめを切らなくてはならないこと」
当たり前すぎることなのに、なんとなく意外な気持ちがした。歳をとったら爪が伸びなくなるとでも思っていたんだろうか。そんなつもりはないけれど。
老いてもつめは伸びるだろうと思う。
でもそのとき自分がどこでどんな風に自分の足のつめを切っているのか、ちょっと想像がつかない。
「老いたときの自分を想像できますか?」
想像できない。せいぜい、どんな容姿かとか、どんなところに暮らし、どういう身体の不調を抱え、どういう精神的状態にあるだろうか、資産状況はどうしたらいいのかというようなことを根拠もあてもなく妄想するぐらいのものにしかならないように思う。どんなに複雑そうな妄想を繰りひろげたところで、「子供と孫に囲まれて窓辺で安楽椅子に座って笑顔で暮らしています」というような、小学校のころ道徳の授業でチラ見したイラストとそう変わらない(ああいう絵はどうして幸せそうに見えないのだろう)。たとえあまり幸福ではない自分を思い浮かべたとしても同じようなものだと思う。妄想の責任をとるほどには自分は全くいたっていない。
そしてそのそうした妄想の中には、足のつめをどう切っているかというようなものは含まれない。
今回の冬は寒くて長かった。
季節を楽しみたい、とはいっても、似たような天気と気温が続き、外に出るには寒過ぎる日々を過ごしているうちに、変わることなく生活しているのに思考も身体も保守的になってくる気がした。自分の体温や代謝、あたたかい飲み物や風呂や良い眠りことについてばかり考えるようになり(そうしたことはほんとうに、とても良いことだったけれど)、内省的になりすぎて自分の人生の過去のことなどを繰り返し考えるようになり、憂鬱と仲良くするのが上手くなってきてしまう。ようは寒さに飽きてきてしまう。日常は舞台裏めいてきて、寒さから身を守るために買ったマフラーや帽子は、はじめのうちはすっぽりと自分を包み込んでくれて世界から守られているようで安心したのに、いつからかそれをまとって外に出れば、街行く人はみんなベージュやカーキの色の服ばかり、だんだんなぜか世界に美も老いも若さもなにもかもがないように思えてしまうときがあった。そうしてわたしは衣服のすき間から彼らをのぞき見ている自分のいやみさを感じながらつくづくうんざりする。
もちろん冬のせいではないことばかりだ。でもわたしにとってはそういう冬だった。
二日前大阪から神戸までを深夜に車で走った。
日本橋の肌をなめるようなビル街を通り抜け、川むこうに見えた梅田のビル群はSFめいていて、たくさんの橋が無数の灯でてんてんとむこう岸へとつなぐ。まわりの車はずいぶんとばしていて、次々と車線変更をする様子はピンボールかインベーターゲームのようだった。神戸の街は窓から眺めるだけで見るところがいくらでもみつかって面白い。その曲がり角、その道のかたち、その高さと低さ。でもわたしはふと、いくらでも車は走っているのにだれも道を歩いていないことに気づく。こんなに人が暮らして、こんなに車も走っているのに、だれも外を歩いていない。誰も外に出ていない。みんな外を眺めているだけだ。コンパートメントが移動しているみたいだ。
そんな冬ももうすぐおわり、たぶんわたしは寒さをすっかり忘れ去る。夏を思い出してもあの全身で吸収して排泄した夏の気温そのものをまったく思い出すことができないのだから、きっと寒さもあっさり忘れてしまうだろうと思う。
というわけで、今年の冬、わたしははじめて足のつめを折った。
ざっくりと書くと、朝ベッドで目を覚まし、フローリングの床に足をおろすと、靴下の中に違和感。確認すると、中で親指のつめが完全に折れて分離していた。もう片方の足も見ると、同じようにひび割れている。
伸びたつめが自然に折れたようだった。たしかにずいぶんと伸びていた。
ふつうの人は、いつ足のつめを切るか決めているものなんだろうか。たとえば、毎月13日に切るようにしているとかいう風に。おどろいたのは、自分がつめの手入れを「さぼっていた」記憶がまったくないことだった。子供のころは足のつめをまめに切り過ぎていたので、大人になってからは伸びていることにしっかり気がついたときだけ切るということにしていたように思う。そうしてみると、足のつめは自分が思っていたよりずっと伸びるのに時間がかかった。だからといって放置したことはなかった。
どうやら今回の寒さが、わたしと足のつめの関係に影響を与えていたらしい。
たとえば夏は素足でいることが多く、自分の足を見る機会が多い。そしてわたしは小さいころからずっと、室内ではあまり靴下をはかないで過ごしてきた。でもこの冬は、わたしはほとんどはじめての冷え対策に取り組んだのだった。いつも靴下やルームシューズをはいていて、ほとんど素足でいることがなかった。外を歩くときはたいていビルケンのサンダル、指先に負荷がかかることもなく、「つめがあたって気づく」ようなこともなく、わたしの足はたいていいつもやわらかいものに包まれていた。そしてわたしの知らないうちにつめは伸びきって折れた。
とは言ってもこんなになるまで気がつきしないなんて、と考えていると、たしかに自分は足のつめを切る行為があまり好きではなかったようにも思えてくる。子供のころ家族が足のつめを切っている様子を見るのが苦痛でならなかった。そういったことの精神分析はともかくとして、ペディキュアも自分でしたいと思ったことはない。足はただただ清潔で白くて柔らかくあるのがいい。
……と思っていたはずなのだけど。
のびたつめを切り直して、次自分はいつつめを切るのだろう、ということがまったく分からなくなってしまっている自分に気づく。今まで自分はいつどうやって切っていたんだろう。わたしが七十一歳になったとき、つめきりは今の形を保っているんだろうか。今のわたしには理解もできない斬新な形のものが定着していたりしないだろうか。わたしが七十一歳になったとしたら分かることだろうけれど。
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