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脱ぎ捨てられる昨日

door to door

   

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夏なんて別に

胃腸の調子が悪くベッドに倒れていたら、恋人が胃腸薬を一袋持ってきて「これを飲むとよい」と。
が、何も口にするつもりになれなかった上に顆粒の薬は苦手であるので、
「それ飲むぐらいならこのままお腹痛いままでよい」とヘラヘラ言うと、
ぺんっ!と薬を恋人が薬箱に目の前でたたきつけたので、
「すみませんやっぱ飲みます」と言うと、
「メンタンピンイーペイコウドラドラ!」と言いながら私の顔面に胃腸薬をべしっ!!と花札みたいにたたきつけて去っていった。麻雀わかんね。

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夏のはじめに

アイスコーヒーのグラスがびしゃびしゃに汗をかき
テーブルに少しずつ水溜りをつくってなんだかだらしないのも仕方なしに進む
気持ちのいいおしゃべり
さっと私より先に伝票を持っていってしまう女友達の
潔さと美しさを追いかけながら少しだけ心配し
もうたくさんの冬の約束をしている
小さなバーに集まる女性たちのさっぱりとしたスカートと足元
荷物は少なく化粧も洗練された薄さ
パーティー帰りのまんまでソルティドッグを頼んで
相手のギネスを一口もらって
今日とても可愛いよワンピースもアクセサリもタイツもヒールも全部よかったと言われ
ありがとうと答えた

明日は何を着ようか

また遊ぼう
秋も冬も春もその先も何度でも

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「I」

知人男性の一人称は、僕と俺と私を自由に行き来する。
書くものにおいても、会話においても。気分や、相手や、環境で変わる。
自分が一番柔軟であれる一人称を選んでいるのが、聞いていてたまに分かることもある。
なんとなくうらやましいなあ、と思って聞いている。
私はあんまり、「私」、というのが、未だに自分にしっくりときているわけではないな。
私に許されている範囲で、人前で使ってもっとも抵抗のない一人称であるのだけれども。
やはり借り物であるような感じは否めない。
「私」という漢字も、なんだかそっけない。
「あたし」や「アタシ」は口にするぶんにはいいけれども、文字で見ると、どうしても硬度みたいなものが感じられないし、野暮ったさみたいなものを感じる(あくまでも、自分自身が使う場合に限って)。自分に重なってくるものが強すぎるような…。可愛らしさや若さを感じるので、ちょっと気後れするところもある。
地元では、高校生ぐらいまでは「うち」「うちほう」という一人称を使う女の子が多かったけれど、「私」に対する照れ、のようなものが少なからずあったんではないだろうか。「私」という、どこか独立した一人称を使う以前の、もう少し他人や周囲と混ざり合った感じのする一人称だったように思う。「うちほう」なんて、「こっちのほう」みたいな意味であるわけで、自分の範囲がゆるやかだ。
歌謡曲では、90年代はこざっぱりとした清潔感のあるルックスの二十代女性が、「僕」の一人称で歌うのが流行した。とはいえ、多くが、決して女性的な性質を感じさせないとか、女性的なルックスではない、ということはなかった。すがすがしさややわらかさのようなものを演出している人が多かったように思う。
男性も演歌や歌謡曲に「あたし」が一人称の歌はあるけれども、多くは女歌であって、男が女の気持ちを歌う、というものであるように思う。女性が「僕」の一人称で歌を歌っても、男性の歌を歌っているわけではない。
今では「僕」で歌が歌われることはごく普通になった。
「僕」っていう一人称には、どこかひかえめなところを感じさせるのかもしれない。性的にも、自分ということを訴えるにしても。
男性も、「私」を使えるようになれるまでには、長い道のりがあるのではないかなあ、と想像する。小学生ぐらいのころに、男子たちが次々と一人称が「俺」に変わっていく中で、「僕」を使っている子がからかわれていた記憶がある。まだ「僕」って言っているのかよ…みたいなことを言われていて、やがてその子も「俺」になった。
私自身は、大人の男性が一人称に「僕」を使うことをとても好ましく感じるのだけれども。
でも、これは想像だけれども、子供のころからずっと、「僕」を使い続けてきました…という男性は、少数派ではないのかな。

ちょうど私が十代のころに、ボク女、と後に呼ばれてしまう少女たちが現れはじめて、実際私も何人か会ったことがあるのだけれども、彼女たちはそうラベリングされる前から「僕」だった。私が出会った一番古い一人称が「僕」の女の子は、私が小学校中学年ぐらいのころクラスメイトだった女の子だから、もう十数年も前になる。髪のきれいな、かわいらしい女の子だった。
その後、「わざわざ異性の一人称を使用する女子」に対する風当たりは弱くはなかった、と思う。どうして他の人と同じ一人称を使わないのかとか、女なのに使うのは変だとか、浮いている、とか…。変な子という扱いをされてしまっている場合もあった。
私はそういうことに対する、周囲の彼女たちの一人称に対する抵抗感のようなものを理解できるように思う反面、彼女たちの抵抗感にも共鳴するところがある。だから、その時期の互いの大人気なさ、のようなものをせつなくも記憶している。私には、自分を別の一人称で呼ぶという発想や勇気はなかった。

「いい大人なんだから、自分のことを名前で呼ぶのはやめるべき」とか、「あたしではなく私といいなさい」とか、当たり前のように言われ、当然に矯正していくわけだけれども。TPOとか空気を読むべきとかがあり、で共有される範囲の一人称を使うほうが自己主張せず他人を刺激せずコミュニケーションがスムーズであるというのはもちろんだと思うのだけれども、私っていう一人称もまあ使っていればそれなりに馴染んでくるというのもあるけれども、それでも別に30歳を過ぎて意図的に一人称が「僕」や「自分の名前(愛称)」であったり、わざわざそれに変更する女性がいても不思議では本当はないよなあ、と思うし、美しく使っている人がいるとしたら出会ってみたいな、と思いもする。親しい友人の前だけ、とか、恋人の前だけ、ということに限るかもしれないけれども、自分がしっくりするコミュニケーションの場において、その一人称が自分にとって最もしっくりくるのだとしたら、それはそれで使っていったらいいよな…と思うし、もし私の前で私が親しみを感じる相手がそのような一人称を選択的に使っているのだとしたら、私はそれを許したい。「許す」というと、とても上から目線なように聞こえてしまうのだけれども。聞きなれていないと戸惑うかもしれないけれども、自然に聞けるようでありたいな。
ちょっと年配の女性には、「おれ」が一人称の人もいる。
方言もあるのだろうけれども。
「私」が一般化したのはいつからなのかな。言文一致運動以降なのかしら。

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コチュジャンのニュアンスが分からない

この間、「冬のソナタ」がいかにすごかったかという話になったのだけれども、その流れで、私は忘れていたけれども思い出したわけです、あの「春のワルツ」を。

私は「春のワルツ」で本当に衝撃を受けたことがあって、今でも解決しないもやもやを抱えている。

というのも、「春のワルツ」はその、冒頭の。
運命の二人の、運命的出会いのシーンが、まさかの。「ヒロインが旅先のオーストラリアの電車内で、お弁当を食べようとして携帯コチュジャンのフタをあけたところ、うっかり近くの席に座っていた美形韓国人男性にコチュジャンをかけてしまう」なのであって。
そのときはそれで終わるものの、後に、「あ、あなたあの時の(コチュジャンの)!」と再会。
そこから互いに実は子供時代に既に会っていたことが明かされたり、ヒーローのほうが別人に入れ替わっていることなどが明かされたり、ライバルの女性とのきつい戦いがあったりという冬ソナっぽい展開をたどるのだけれども。
そのヘビーでかつ家族、因縁の入り乱れつつの長いドラマが進む中で、やってきた、すれ違い続けた二人が再び出会い、互いの存在を再確認するという回で。

…ヒロインはお弁当を食べようと携帯コチュジャンのフタを開けるのだけれども、うっかりコチュジャンを近くにいた男性にかけてしまうわけであって…、
それが偶然にもヒーローなのであって…。
ピアニストのヒーローの真っ白なシャツに、真っ赤なコチュジャン…。
驚くヒロインにヒーローは、「コチュジャンをかけるのが得意な女だな」とかなんとか、クールに言うわけで…。それにヒロインは「あのときと同じね…」とか感慨深く返すのであって…。

これは…。

ギャグなのか…。いや…。

それとも、日本における、「本屋で本をとろうとしたら手がふれあってしまってはっとお互いを意識する」的な、お約束の、むこうの視聴者には「ああ、あれね」とわかる、ひとつのパターンであるのか…。

それともウエイトレスが転んで水を客の頭からかけちゃう的な、ドジっ娘をあらわしているのか…。

いや、それとも単にふつうの、素の演出なのか…。それとも大胆な切れ味あるシーンなのか…。
いやいやその前に、むこうでは「携帯コチュジャン」はポピュラーであるのか。フタを開け損ねて人にかけるということも、あるあるなのか? いや、ないのだろうか…。

容姿やファッションが近いところがあるから、何気なくドラマチックに観ているけれども、やはり異なる国のある表現の有様を、そのまま理解するっていうことはものすごく困難なことであるなあ、と思った。例えば、日本人にとって米がどういうものか、とか語られるけれども、インド人にとってカレーがどういうものであるのか、私に本当に理解することができる日なんてくるのかどうか。

すると同席していたMが、
「僕はいつでもどこでもマイマヨネーズを携帯している女の子は、ちょっとどうかと思う」と言い出し…。ますます分からなく…。


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かの花

花を買おうかと時々思い、通りすがりの花屋に足を止めるのだけれども、なんやかんや理由をつけて買わないで通り過ぎてしまう。

私の実家は花を飾る家ではなく、祖母は花が好きでよく育てたり飾ったりしていたけれども、私は花を好むとか愛でるとかいう気持ちにどうしても寄り添うことができずに、きれいでしょうと聞かれてようやく、ああきれいね、とか、きれいでない、とかで終わってしまう自分の興味というものの有り様に後ろめたさというか恥ずかしさのようなものを感じていて、そのため自分に花を買う資格なんてないのだとなんとなく思っていた。
子供のころも、将来何になりたいのというのにお花屋さんなどと答えたことはない。でもそれも、子供ながらに、どこかでそう答えることの気まずさというのが自分の中にあったように思う。将来何になりたいのかとしょっちゅういろいろなところで聞かれていたころに、自分が何と答えたかは覚えていないけれども、「小さい女の子はたいていお花屋さんとか言うものだ」ということをまわりの大人たちがポジティブにもネガティブにも適当に語っていたことは覚えていて、私はそういう風当たりから逃れるように、突破できるように、右往左往してきたところが今もあるように思う。ごく自然にお花屋さんと言いたかったという妬みも持っている。
そうして二十代である今となっては、花屋を本当に素敵な仕事であるなあと思うのであって、でもそうした自分の憧れさえ花や花屋には勘違いや思い込みが深く迷惑なのではないかとかすかに思っているところもあり、傷つくことと傷つけることが怖くてなかなか近づくことができないし、関係の糸口をつかむことも難しい。それも自意識過剰であることは十分分かっているつもりなのだけども。

二十歳ぐらいの時に一時期つきあっていた人に誕生日にぽんとテーブルヤシをもらい、私は自分が植物をもらったということに多少盛り上がりもしたけれどやっぱり扱いかねて、なんとなくネットで調べて、とりあえず日中にいくらか光合成をさせるのがいいらしいと窓辺に置いてはみたのだけれども、北国から出てきたばかりの私にとっては想像をはるかに超えていた東京の春の日差しがテーブルヤシを瞬殺してしまったのであって。一応テーブルヤシにはまごまごとあれこれしてみたのだけれども、何をしてももうあからさまにテーブルヤシは死んでいるのであって、それどころか目の前でどんどんぼろぼろに死を深めていくものだから、やがてうんざりしてわたしはテーブルヤシから興味を断った。
いつどうやって捨てたのだかも覚えていない。そのことを相手に言い出そうとも思わなかった。
ちょっと思い返しても実験的に他人で爪をとぐことで、相手ばかりでなく自らも負わなくていい傷を必要以上に負うような、自尊心を失いつづける稚拙で卑屈な日々であったし、底が抜けたような崩壊した生活をしていたあの時期を、正直なところどういうつもりで生きていたのかはっきりとは覚えていないのだけれども、それはともかくとして、見たことがない状態で死んでいるテーブルヤシを眺める深夜に、自分は人にもらった植物さえ大事にできない女なのだと思った。テーブルヤシのその細くて水気を全く失った手触りがただただ物珍しくてずっと見ていた。そんなに悲しくなかったし、ただただ居心地悪く、めんどうくさかった。ああ、またか、という感じがした。それまで植物を枯らしたことなんて一度もなかったけれども。

数年後、想像もしなかった場所を行き来し、世界も価値観も移り変わり、私が過去から継続しているのだということさえも上手く考えられなくなりながら、今年の誕生日はどう過ごそうかと恋人が言ってくれるあるときに、花を一輪リクエストした。恋人に花をもらうことに憧れがあったということはあまりないとは思うのだけれども、どうなのだろう。多少、ありがちとされている出来事の模倣をしようという意図はあったのかもしれないけれど。毎年過ごすうちに互いに分かってくる、誕生日を過ごすということの驚くべき豊潤さの中で、関西の驚くべき春の陽気の中で、ハードルが下がったのかもしれなかった。花束ではなく一輪にしてほしい、もしも買うことが恥ずかしかったりするなら望まない、と言ったけれども、彼は随分楽しんで花を選んできてくれたようだった。なんとなくや間に合わせで選ぶのではなく、これだと思うものを探して買ってきてくれて、いいのがあった、これは自信がある、と、誇らしげに家にやってきたのはピンクの薔薇一輪。
ピンクの薔薇、と言葉にするとありがちなようではあるけれども、生身の彼女は隅々までみずみずしい、生命力にあふれた一輪で、花の大きさも、その茎の長さも、あまりにしっくりとするのであって、花ってこんなに美しいのかと、こんなに自分にぴったりくることがあるのかと。花は女らしさの象徴のようにみなされるけれども、そうではなくてもう薔薇が女にしか見えないわけで。上品な姿のいい若い女の子にしか見えないわけで。
私の部屋に薔薇がいて、生命力を発しているというその状態に圧倒される想いがし、昔は花もそうでないものも、洒落たものも冴えたものもそうでないものも、私にとっては何もかもが同じジャンクだったのかもしれない、でもその日はもうそうではなかった。そのみずみずしさが、本当に部屋の中に灯りをともすようで。もうずっと前からそうだったようだったので。一緒にいてよい、寄り添っていてかまわないと初めて許されたようで。
その後あの一輪が忘れられず、出歩くたびにいろいろな花屋を見るのだけれども、あの一輪よりいいなと思う薔薇に出会うことがない。それが花を買わない理由になってもいるのだけれども。
とにかく私はその日必死になってバラを瓶に生けて、神経質なぐらい置く場所を考えてあちこちを行き来し。もらったくせに彼に花を自慢しつづけた。この子は貴婦人みたいだとか言っていた。花びらのその質感、葉脈の感じ。翌日も翌々日も薔薇は元気に咲いていて、もう可愛くてうれしくて、飽きもせず眺め、写真を撮ったり手に持ったりなでたり、部屋を移動するときにも連れていったりしていたのだけれども、やっぱり何度も忘れては思い出し、でもやはり忘れていたのだった。いつか死んでしまう。
それでもまさかと思うほどその花が枯れてゆくということはその時期の私を打ちのめした。ちょっとでも長く生きてほしくていろいろなことを試みたけれど、それでも時は容赦なく花を通り過ぎていき、もう飾っておくにはしおれてしまっているという状態になって、交換したほうがいいと誰が見ても思うような非常識な状態になっても、「まだ一緒にいてもいい」「まだ生きている」とかなんとか私は言って花を飾っていた。茶色くなってぼろぼろになってしまってもあきらめられず花を捨てられないでいた。
五月も終わり、もう夏が来るというころになってようやく、彼が窓辺に飾ったままの朽ちた花を見、捨てなくていいからどこかに埋めてあげなと言った。裏に大きな山になってる神社があるから、神社には申し訳ないけれど、その草木が生えているところに置いてこさせてもらおう、明日休日だから散歩して行こう。緑が眩しい休日の朝に、そのあたりが芝生を刈った濃い草木の匂いでけむくなっている中を、瓶を持って神社に行って、その山の肌の目立たないところに花を置いて、瓶の中の水をかけて帰った。やけに感傷的になった。

奈良を歩いていると、本当に美しい苔とかを見る。観葉植物とかも、たまにはいいなあと思ったりもする。すべてに思うわけではない。時々はっとする出会いがあるというだけで。自分にはその存在の何も分かることのできない、圧倒的に他者な生き物が自分のそばにあるっていうのは素敵なことだと思うし、思っている。でもまた迎えることができるのかどうか。いつか「花が好き」とか言えるようになるのだろうかさっぱり分からない。でもあまり好きじゃないっていうのもすんなり言えそうにはない。何日か前、あまりに忙しく容赦なく生きているある女性が、生きる隙間に花に水をやりながら「花はいいものよ。もうずっと花だけ触っていたいなと思うよ」というのにただ頷いた。小さいころ、あんなにいくらでもむしることが出来た道端の花々を、今はどうして出来ないようになったのかしらね。ごめんねテーブルヤシ。
でもあの日の私も、まあ、がんばっていたとは思うのだけれども。

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