知人男性の一人称は、僕と俺と私を自由に行き来する。
書くものにおいても、会話においても。気分や、相手や、環境で変わる。
自分が一番柔軟であれる一人称を選んでいるのが、聞いていてたまに分かることもある。
なんとなくうらやましいなあ、と思って聞いている。
私はあんまり、「私」、というのが、未だに自分にしっくりときているわけではないな。
私に許されている範囲で、人前で使ってもっとも抵抗のない一人称であるのだけれども。
やはり借り物であるような感じは否めない。
「私」という漢字も、なんだかそっけない。
「あたし」や「アタシ」は口にするぶんにはいいけれども、文字で見ると、どうしても硬度みたいなものが感じられないし、野暮ったさみたいなものを感じる(あくまでも、自分自身が使う場合に限って)。自分に重なってくるものが強すぎるような…。可愛らしさや若さを感じるので、ちょっと気後れするところもある。
地元では、高校生ぐらいまでは「うち」「うちほう」という一人称を使う女の子が多かったけれど、「私」に対する照れ、のようなものが少なからずあったんではないだろうか。「私」という、どこか独立した一人称を使う以前の、もう少し他人や周囲と混ざり合った感じのする一人称だったように思う。「うちほう」なんて、「こっちのほう」みたいな意味であるわけで、自分の範囲がゆるやかだ。
歌謡曲では、90年代はこざっぱりとした清潔感のあるルックスの二十代女性が、「僕」の一人称で歌うのが流行した。とはいえ、多くが、決して女性的な性質を感じさせないとか、女性的なルックスではない、ということはなかった。すがすがしさややわらかさのようなものを演出している人が多かったように思う。
男性も演歌や歌謡曲に「あたし」が一人称の歌はあるけれども、多くは女歌であって、男が女の気持ちを歌う、というものであるように思う。女性が「僕」の一人称で歌を歌っても、男性の歌を歌っているわけではない。
今では「僕」で歌が歌われることはごく普通になった。
「僕」っていう一人称には、どこかひかえめなところを感じさせるのかもしれない。性的にも、自分ということを訴えるにしても。
男性も、「私」を使えるようになれるまでには、長い道のりがあるのではないかなあ、と想像する。小学生ぐらいのころに、男子たちが次々と一人称が「俺」に変わっていく中で、「僕」を使っている子がからかわれていた記憶がある。まだ「僕」って言っているのかよ…みたいなことを言われていて、やがてその子も「俺」になった。
私自身は、大人の男性が一人称に「僕」を使うことをとても好ましく感じるのだけれども。
でも、これは想像だけれども、子供のころからずっと、「僕」を使い続けてきました…という男性は、少数派ではないのかな。
ちょうど私が十代のころに、ボク女、と後に呼ばれてしまう少女たちが現れはじめて、実際私も何人か会ったことがあるのだけれども、彼女たちはそうラベリングされる前から「僕」だった。私が出会った一番古い一人称が「僕」の女の子は、私が小学校中学年ぐらいのころクラスメイトだった女の子だから、もう十数年も前になる。髪のきれいな、かわいらしい女の子だった。
その後、「わざわざ異性の一人称を使用する女子」に対する風当たりは弱くはなかった、と思う。どうして他の人と同じ一人称を使わないのかとか、女なのに使うのは変だとか、浮いている、とか…。変な子という扱いをされてしまっている場合もあった。
私はそういうことに対する、周囲の彼女たちの一人称に対する抵抗感のようなものを理解できるように思う反面、彼女たちの抵抗感にも共鳴するところがある。だから、その時期の互いの大人気なさ、のようなものをせつなくも記憶している。私には、自分を別の一人称で呼ぶという発想や勇気はなかった。
「いい大人なんだから、自分のことを名前で呼ぶのはやめるべき」とか、「あたしではなく私といいなさい」とか、当たり前のように言われ、当然に矯正していくわけだけれども。TPOとか空気を読むべきとかがあり、で共有される範囲の一人称を使うほうが自己主張せず他人を刺激せずコミュニケーションがスムーズであるというのはもちろんだと思うのだけれども、私っていう一人称もまあ使っていればそれなりに馴染んでくるというのもあるけれども、それでも別に30歳を過ぎて意図的に一人称が「僕」や「自分の名前(愛称)」であったり、わざわざそれに変更する女性がいても不思議では本当はないよなあ、と思うし、美しく使っている人がいるとしたら出会ってみたいな、と思いもする。親しい友人の前だけ、とか、恋人の前だけ、ということに限るかもしれないけれども、自分がしっくりするコミュニケーションの場において、その一人称が自分にとって最もしっくりくるのだとしたら、それはそれで使っていったらいいよな…と思うし、もし私の前で私が親しみを感じる相手がそのような一人称を選択的に使っているのだとしたら、私はそれを許したい。「許す」というと、とても上から目線なように聞こえてしまうのだけれども。聞きなれていないと戸惑うかもしれないけれども、自然に聞けるようでありたいな。
ちょっと年配の女性には、「おれ」が一人称の人もいる。
方言もあるのだろうけれども。
「私」が一般化したのはいつからなのかな。言文一致運動以降なのかしら。
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