この間、「冬のソナタ」がいかにすごかったかという話になったのだけれども、その流れで、私は忘れていたけれども思い出したわけです、あの「春のワルツ」を。
私は「春のワルツ」で本当に衝撃を受けたことがあって、今でも解決しないもやもやを抱えている。
というのも、「春のワルツ」はその、冒頭の。
運命の二人の、運命的出会いのシーンが、まさかの。「ヒロインが旅先のオーストラリアの電車内で、お弁当を食べようとして携帯コチュジャンのフタをあけたところ、うっかり近くの席に座っていた美形韓国人男性にコチュジャンをかけてしまう」なのであって。
そのときはそれで終わるものの、後に、「あ、あなたあの時の(コチュジャンの)!」と再会。
そこから互いに実は子供時代に既に会っていたことが明かされたり、ヒーローのほうが別人に入れ替わっていることなどが明かされたり、ライバルの女性とのきつい戦いがあったりという冬ソナっぽい展開をたどるのだけれども。
そのヘビーでかつ家族、因縁の入り乱れつつの長いドラマが進む中で、やってきた、すれ違い続けた二人が再び出会い、互いの存在を再確認するという回で。
…ヒロインはお弁当を食べようと携帯コチュジャンのフタを開けるのだけれども、うっかりコチュジャンを近くにいた男性にかけてしまうわけであって…、
それが偶然にもヒーローなのであって…。
ピアニストのヒーローの真っ白なシャツに、真っ赤なコチュジャン…。
驚くヒロインにヒーローは、「コチュジャンをかけるのが得意な女だな」とかなんとか、クールに言うわけで…。それにヒロインは「あのときと同じね…」とか感慨深く返すのであって…。
これは…。
ギャグなのか…。いや…。
それとも、日本における、「本屋で本をとろうとしたら手がふれあってしまってはっとお互いを意識する」的な、お約束の、むこうの視聴者には「ああ、あれね」とわかる、ひとつのパターンであるのか…。
それともウエイトレスが転んで水を客の頭からかけちゃう的な、ドジっ娘をあらわしているのか…。
いや、それとも単にふつうの、素の演出なのか…。それとも大胆な切れ味あるシーンなのか…。
いやいやその前に、むこうでは「携帯コチュジャン」はポピュラーであるのか。フタを開け損ねて人にかけるということも、あるあるなのか? いや、ないのだろうか…。
容姿やファッションが近いところがあるから、何気なくドラマチックに観ているけれども、やはり異なる国のある表現の有様を、そのまま理解するっていうことはものすごく困難なことであるなあ、と思った。例えば、日本人にとって米がどういうものか、とか語られるけれども、インド人にとってカレーがどういうものであるのか、私に本当に理解することができる日なんてくるのかどうか。
すると同席していたMが、
「僕はいつでもどこでもマイマヨネーズを携帯している女の子は、ちょっとどうかと思う」と言い出し…。ますます分からなく…。
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