今暮らしているところの近くには、そう高くない山が連なっており、その間を大きな大きな川が流れている。
あんまり空気のきれいなところではないけれども、山は昼間は美しいけむるような緑で、川も澄んではいないけれども、見ごたえある様子。
とっぷりと日が暮れてから、その川沿いの道を車で走ると、向こう側の山と、自分が走っているほうにある山の少し上のほう、もう真っ暗闇の中、くろぐろとした電車が、並ぶ車窓からまぶしいくらいの光を放ちながら、ひゅーっと、水平に走っていく。
銀河鉄道だなあ、と、いつもひとりで沸き立つような気持ちになる。本当に、闇の中、高いところをしゅぱーっと、水平に移動していく。
たまに運がいいと、自分の乗っている車を背後から、両側を電車が走って追い越していく様子が見られる。そのままカーブしながら空中で交差するかのように見えて、ああっ!と思う。
光の連なりが左右を通り越していく中、チラチラと車内に人が乗っている、その服装ぐらいまではなんとなく見えて、目で追ううちに、片方はトンネルらしきくっきり直線で始まる暗闇に消えていき、片方は川面に光をうつしながら鉛筆ぐらいのサイズになるまで遠ざかり、やがて町の光にまぎれて分からなくなっていく。
「銀河鉄道みたいよね」というと、「賢治とスリーナインどっち?」と言われ、そういわれてみれば、両方が「銀河鉄道」のイメージを作り上げている。スリーナインはもちろん賢治の影響を受けているわけだけれども。でも今暮らしているところを思うとどちらかといえば賢治のほうかなと思う。夜見るあれらの電車にはいつも帰りゆく人たちがまばらに乗っている。
あそこに哲郎とメーテルが乗っているような感じはしない。あとスリーナインは、夜空だけど明るいイメージがある。繁華街的な華やかさを感じる。…実あまり見たことがない。
そういえば「銀河鉄道の夜」はどういう話だったかしら、とすり合わせると、意外と互いに覚えているところが異なる。
「タイタニック号の氷山の衝突で死んだ人たちが、ずぶぬれで列車に乗ってくるよね?」というと、彼はそういうようなことは覚えておらず、ジョバンニとカムパネルラが並んで座って「どこまでも行こう」と語り合うシーンのや、冒頭のクラスで授業しているシーンや、カムパネルラの川での事故のことなどをあげる。互いに、どうやって列車に乗ることになったのか、どうやって帰ってきたかなんかは覚えていない。
でも聞いているうちにいろいろ思い出してくるもので、私は他の人たちが切符を出す中、切符なんて持ってないとあわてるジョバンニが、ポケットにあったなぞの紙切れを、ままよ、と出すと、みんなに「すごいもの持ってるね」「これ特別な切符だよ!」と驚かれてしまい恥じ入るシーンや、二人で喋ってふと振り返ったらカムパネルラがいなくなっていたことなんかを思い出し、ラスト近く、カムパネルラの父が川を見ながら、「もう何分上がってこない」とカムパネルラをあきらめるシーンなんかを思い出す。
で、カム父がジョバンニに、「ジョバンニさん息子と仲良くしてくれてありがとう」みたいなことを言っていたなあ、と思う。あの作品て大人が子供をさんづけで呼ぶよなあ。ジョバンニをからかっていたザネリを助けるためにカムパネルラが川に入って、ザネリは助かったっていうのが、いつ思い出してもはっとするよ。ところで、ザネリって名前がすてきな。
実際に読み返すと、部分部分が未完成で欠けているため、シーンがスキップする。
だからかもしれないけど、自分の中で作品中で起きる出来事が順序どおりに記憶されず、印象深いシーンがスナップ写真のように記憶される。それはほうっておくとほどけて、「なんかジョバンニとカムパネルラの二人が銀河鉄道に乗る話」というのになってしまう。何も覚えてないけど、キラキラしてることだけは覚えている、というような。
空を列車が走るというイメージは、あのころ宮沢賢治だけに訪れたイメージなんだろうか。
世界的にはどうなのだろう。
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