大学生時代、暮らしていた馬場の思い出深い店をいくつか、思いついたら書いていこうと思う。
馬場〜早稲田の飲食店情報は有り余っていると思うけれど、自あのころ手探りに生活する中で、どこへ行き、何をだれとどう食べたいか、店で食べるってどういうことなんだろう、暮らすってどういうことかということを模索するなかで、それらの情報が折り合いがつくことはなかなか難しかった。
あれ以来優しさと出会いに恵まれ、さまざまなシチュエーションや土地、環境の食に触れる機会も増えたけれど、馬場でいっぱいいっぱいで暮らしていたころの感じを思い出すと、なんだか自分の故郷のように思われることもある。
やきとん おかしら
http://psybaba.net/atomlog/2009/03/post_835.html
すごく通わせてもらったお店。カウンターのみ。日本酒はかもつるとけんびしの二種類。串は100円。
パチンコ104のむかいがわ、赤ちょうちんが下がっていれば営業中の目印。地下に降りて一番奥。
一人客か二人客、あとは常連同士が話している感じ。いろんな人がいたけど、学生はいなかったように思う。サラリーマンや中年男女が多い。いつもカウンターは埋まっている。
料理よりは純粋に、焼きと刺し身がおいしいの。ブタのすべてを食べるつもりで食べました。
新鮮なブタを使っていて、心臓、レバー、ガツが基本刺し身(!)で食べられる。しょうが醤油かごま油に塩。臭いなんてまったくなくて、値段も一皿500円以下。運がよければブタのゆがいた脳みそ、生でまさかの金刺しも食べられる(金刺しはトロットロで刺し身の中で一番美味しかった…脳みそは肉になった白子みたいな感じ)。
当時はまだ知らなかった名前の串がたくさんあって(カシラ、たんもと、チレ、はつはじなど)、「何これブタ? ものそい香ばしくてぷりぷりでジューシー…」と衝撃。やきとんのことについてはここのおとうさんに随分教えてもらった。おとうさんは「焼き」になると目つきも態度も全く変わり、その緊張するほどの丁寧さがかっこいい。焼きおにぎり、頼んだのが申し訳なくなるほどじっくり焼いてくれるのだけど、あんなに香ばしい焼きおにぎりはあそこでしか食べたことがない。
おかあさんはほんわりした感じの人で、すごく働き者でいつも動いていた。おかあさんが早すぎる洗い物をする横に座るのが大好きだった。
なんだか萌える二人で、おっとりしてる感じで、押し付けてくる感じがゼロで、でもこちらを「学生さん」とも「お嬢さん」とも扱わず、いわゆる「お客様」でもない、でもすごく大切にしてくれる不思議な居心地のよさだった。二人が互いのことを「おとうさん」「おかあさん」って呼んでるからお客さんっちもそう呼んでいたけど、二人は若くておじさんおばさんっていう形容詞が似合う感じでもない、は独特の雰囲気があった。
おかあさんが風邪で来られない日はおとうさんに負担がかからないようにお客さんが注文していたり。営業中店の外にちょっと煙草を吸いに出てきてるお父さんをみつけて、「こんばんは」って声をかけて一緒に店に入っていったこととか。「この間どこどこで見かけたよー」と言われたり。土曜日に大切なマフラーを忘れて月曜日に電話したら、わざわざ家にまで持ち帰ってとっておいてくれたこと。一度おとうさんが店おわりにバーに誘ってくれて連れていってもらったこと。
目まぐるしく変わる、本当に雑多で(ときに雑で、時に冷たいことも面白く)多様な店が溢れる中にあの店があったのがうれしかった。そのコントラスト。
今もし行ったら、刺し身二種類と焼きとん、ぬかづけを頼むと思う。
この店で飲んでるときに、ラーメン『べんてん』のオーナーと、少し話させてもらったことがある。小麦高になる前、つけめんブームがすごかったころで(最近の東京がどうなのかは全然わからない)、わたしもべんてんのあの太めんであまみのあるラーメンが好きだった。そしていわゆる「行列店」(しかも長い)をはじめて見た店でもある。
なんだかすごく輝いていて、趣味の話も何もかも、「生きてる!」って感じがする人だった。エネルギッシュで明るい感じで、男の人なのに華やぎがあった。案の定いい身体をしていてタフそうなんだけど、気難しい感じやマッチョな感じがせず、最近三味線にハマってるんだ!と言っていた。
ひとりではじめたころのこと、仕込みを終えてへろへろになって寝ていると、まだ開店前なのに学習院の学生が戸を叩いてきて、でも絶対に降りていってラーメンを作ったこと。それから行列の絶えない店になるまで。弟子たちのがんばり。ラーメンブームのこと。ブームの中、ランキング雑誌がどういうもので、どう自分がそれを思っているか。何より今は三味線が面白くて面白くてしょうがないこと。そういう話が「俺の話を聞け」じゃないかるーい感じで、さらっとしてて、サービス精神溢れているというか、ひらかれた素敵な話し方をする人だった。
「○曜日の何時なら俺がやってるから、そのときにおいで」と言ってもらったけど、それから怒濤の4年生で、その曜日と時間帯には行く機会が持てなかったのがちょっと悔やまれる。
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無題
無題
よければ今度一緒に美味しいお茶でも飲みましょうね。