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脱ぎ捨てられる昨日

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カテゴリー「ごはんのこと」の記事一覧

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ジンジャー

しょうがをうす切りして、天日に干してカラカラにして、
ミキサーやすりばちでこなごなの粉末にすると、
それはそれはすごいらしい
ほんの少量のつもりで使っても、
すさまじいエネルギーであるらしい
中国産で一袋いくらで市販されているけれど、
てづくりは威力が違うらしい

あこがれる
そんなパワフルなものを作りたい、持ちたい、使いたい
子どものころ憧れた魔女のよう

でも、

びんひとつ作れるほどのしょうがってどのぐらいの量だろう
ひとつ干したぐらいじゃあ、
ほんとにちょっとだけしかできないのだって
どのぐらい干したら、
たっぷりのジンジャーパウダーを棚にしまうことができるだろう

法隆寺の前に、『しむら』というお店があって
http://r.tabelog.com/nara/A2902/A290203/29001368/

こんな観光地のどまん前にあるごはんやさんって、高いだけかなあ、
なんて失礼にも思いながら入ったら、
安くはもちろんないけれど、せつなくなるほど高いわけではないし、梅うどんははっとする美味しさ、カツ丼はカリカリでジューシーで、法隆寺に散歩に行くと、結局このお店に入ってしまいます。

でもこういうお店の一人前はたっぷりなので、
「別にわざわざごはんを食べるほどのおなかじゃないけど、少しだけ食べたい」
っていうときには、
店の前で売ってる味噌が一体どうしたらこんなに美味しいのか、という味噌田楽か、
場でおばさんが焼いてくれる草もち。

しみじみ店の前でかじっていると、店先のおばさんが穏やかに話しかけてくれる。

お姉ちゃんたち、さっきも通ったなあ。これ食べにわざわざ戻ってきてくれたんやね、ありがとお。法隆寺もう行ってきた? どうやった? 今日は人、たくさんおったやろう? 

隣には美味しい奈良漬けのお店があって、このおじさんにはもう2回、奈良漬けの何たるかを前のめりに講釈してもらい、漬け年数が違う奈良漬けを食べさせてもらった。
「近所にはうちに味噌だけもらいに来る人だっているんだぜ」とおじさんが言うのに笑う。
言うそばから、本当に味噌だけ「もらっていく」人が現れた。
おじさんはあっさり袋であげてしまう。

おにぎりにぬって焼くとすばらしいのだって。

奈良漬けは買って帰って、長い間いろいろなときに食べました。
実際、あちこちで試食したものよりうんと美味しいの。
臭くも苦くもなくて、ほんのちょっぴりでグンと来る味がする。
横にはチワワとプードルがつながれていて、ただただ訪れる人間をしたっている。離れるのが罪である気がするほどに。

奈良は美味しいものはない、というけれど、嘘だと思う。手間をかけてくれている、こんな意外な気配りをしてくれている、という繊細さが、お菓子や食事に感じられて。
そしてそれはとても美味しいということ。

ふしぎなことに、そういう美味しさに触れていると、「食べなくても損じゃないんだな」、とこの歳になって気づくことが出来るようになった。上手く言えないけれど、食べる=特、食べない=損じゃない、ということが、肌に染みて分かるようになってきた。もちろん、飢えるか飢えないか、という話ではなくて。
自分が世界から奪う「食べる喜び」は、取り分や機会が多いほうがいい、みたいな感覚はなくなった。
たとえば人と出かけたときに、有名なカフェに寄ってみたときとかに、自慢のコーヒーとスイーツどちらも頼まないと損、ということは、ないのだなって。
コーヒーだけをじっくり楽しんでも、何も損ではないのだなって。


修学旅行生むけの営業をしているお店が美味しくない、とは決めつけることはできないけれど、大人数で入れなきゃいけないし、選択権もないし、運命もない。時間とかも全部決まっていて。「美味しい」の意味がとてもとても限定されていたように思う。そういう時期だったんだろうか。でも、並んで歩いている修学旅行生を見ると、こっちやあっちにもいろいろあるから、いろんな可能性があるから、と思う。

法隆寺内の自由見学に歩き疲れた中学生が、ジュースを買って飲んでいるのをみつかって、勝手に買って飲むなと教師にひどく怒鳴られていた。

……この『しむら』さんには生ジンジャエールというのがあって、生ショウガをしぼってジンジャエールを作ってくれるのだけど、これがすごいのです。

ひとくちごとに、予想外のカッ、がきて、一瞬遅れてがつん
あっなるほど、ジンジャエールだ」と納得する、の繰り返し。
ひとくち飲むたびにびっくりする。
あのショックが好きな人は多いだろうな。
ちなみに、「生絞りジンジャエール」で検索すると、しむらさんがトップで出てくる。

そのほかに、こういうのや
http://hakatasugaya.com/neo.cgi/a>

こういうのもあった
http://flyingmango.jp/food/raw_ginger_ale_recipe.html/a>

法隆寺のまわりは
美しく手入れされた庭と屋敷と門構えを持つ、古い町並みがつづく
そんな道に時に田んぼや畑があって
余裕と格式のある安定したのんびりさに癒される
ほろほろと歩いていると丸い小さな小さな家ほどのサイズの丘があって、まわりの芝生に若いお母さんと子どもがシートを広げてランチをしていた。

あのお母さんは、わたしと同じくらいかもしれないなあ。

丘は一体なにかなあ、と思ってぐるりと回ると、古墳でした。

こんなお墓に眠っている人もいるのね。

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高田馬場/飲食店/やきとん おかしら

大学生時代、暮らしていた馬場の思い出深い店をいくつか、思いついたら書いていこうと思う。

馬場〜早稲田の飲食店情報は有り余っていると思うけれど、自あのころ手探りに生活する中で、どこへ行き、何をだれとどう食べたいか、店で食べるってどういうことなんだろう、暮らすってどういうことかということを模索するなかで、それらの情報が折り合いがつくことはなかなか難しかった。
あれ以来優しさと出会いに恵まれ、さまざまなシチュエーションや土地、環境の食に触れる機会も増えたけれど、馬場でいっぱいいっぱいで暮らしていたころの感じを思い出すと、なんだか自分の故郷のように思われることもある。




やきとん おかしら http://psybaba.net/atomlog/2009/03/post_835.html
すごく通わせてもらったお店。カウンターのみ。日本酒はかもつるとけんびしの二種類。串は100円。
パチンコ104のむかいがわ、赤ちょうちんが下がっていれば営業中の目印。地下に降りて一番奥。
一人客か二人客、あとは常連同士が話している感じ。いろんな人がいたけど、学生はいなかったように思う。サラリーマンや中年男女が多い。いつもカウンターは埋まっている。
料理よりは純粋に、焼きと刺し身がおいしいの。ブタのすべてを食べるつもりで食べました。
新鮮なブタを使っていて、心臓、レバー、ガツが基本刺し身(!)で食べられる。しょうが醤油かごま油に塩。臭いなんてまったくなくて、値段も一皿500円以下。運がよければブタのゆがいた脳みそ、生でまさかの金刺しも食べられる(金刺しはトロットロで刺し身の中で一番美味しかった…脳みそは肉になった白子みたいな感じ)。
当時はまだ知らなかった名前の串がたくさんあって(カシラ、たんもと、チレ、はつはじなど)、「何これブタ? ものそい香ばしくてぷりぷりでジューシー…」と衝撃。やきとんのことについてはここのおとうさんに随分教えてもらった。おとうさんは「焼き」になると目つきも態度も全く変わり、その緊張するほどの丁寧さがかっこいい。焼きおにぎり、頼んだのが申し訳なくなるほどじっくり焼いてくれるのだけど、あんなに香ばしい焼きおにぎりはあそこでしか食べたことがない。
おかあさんはほんわりした感じの人で、すごく働き者でいつも動いていた。おかあさんが早すぎる洗い物をする横に座るのが大好きだった。
なんだか萌える二人で、おっとりしてる感じで、押し付けてくる感じがゼロで、でもこちらを「学生さん」とも「お嬢さん」とも扱わず、いわゆる「お客様」でもない、でもすごく大切にしてくれる不思議な居心地のよさだった。二人が互いのことを「おとうさん」「おかあさん」って呼んでるからお客さんっちもそう呼んでいたけど、二人は若くておじさんおばさんっていう形容詞が似合う感じでもない、は独特の雰囲気があった。
おかあさんが風邪で来られない日はおとうさんに負担がかからないようにお客さんが注文していたり。営業中店の外にちょっと煙草を吸いに出てきてるお父さんをみつけて、「こんばんは」って声をかけて一緒に店に入っていったこととか。「この間どこどこで見かけたよー」と言われたり。土曜日に大切なマフラーを忘れて月曜日に電話したら、わざわざ家にまで持ち帰ってとっておいてくれたこと。一度おとうさんが店おわりにバーに誘ってくれて連れていってもらったこと。
目まぐるしく変わる、本当に雑多で(ときに雑で、時に冷たいことも面白く)多様な店が溢れる中にあの店があったのがうれしかった。そのコントラスト。
今もし行ったら、刺し身二種類と焼きとん、ぬかづけを頼むと思う。

この店で飲んでるときに、ラーメン『べんてん』のオーナーと、少し話させてもらったことがある。小麦高になる前、つけめんブームがすごかったころで(最近の東京がどうなのかは全然わからない)、わたしもべんてんのあの太めんであまみのあるラーメンが好きだった。そしていわゆる「行列店」(しかも長い)をはじめて見た店でもある。
なんだかすごく輝いていて、趣味の話も何もかも、「生きてる!」って感じがする人だった。エネルギッシュで明るい感じで、男の人なのに華やぎがあった。案の定いい身体をしていてタフそうなんだけど、気難しい感じやマッチョな感じがせず、最近三味線にハマってるんだ!と言っていた。
ひとりではじめたころのこと、仕込みを終えてへろへろになって寝ていると、まだ開店前なのに学習院の学生が戸を叩いてきて、でも絶対に降りていってラーメンを作ったこと。それから行列の絶えない店になるまで。弟子たちのがんばり。ラーメンブームのこと。ブームの中、ランキング雑誌がどういうもので、どう自分がそれを思っているか。何より今は三味線が面白くて面白くてしょうがないこと。そういう話が「俺の話を聞け」じゃないかるーい感じで、さらっとしてて、サービス精神溢れているというか、ひらかれた素敵な話し方をする人だった。
「○曜日の何時なら俺がやってるから、そのときにおいで」と言ってもらったけど、それから怒濤の4年生で、その曜日と時間帯には行く機会が持てなかったのがちょっと悔やまれる。

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コチュジャン

http://www.toyoda-shouten.com/?from=ga1&gclid=CND-2fyOuaQCFQRCbgodRl6Axw
豊田商店/鶴橋


コチュジャンをきらしてしまった。

鍋を毎年秋冬になるとよく食べる。
ほかにやることがあって忙しくてそれどころではないこともあるから、そういうごはんの楽しみ方ばかりを選ぶわけにはいかないけれど、鍋は食べることにゆっくりつきあうことができる。映画観ながらでも喋りながらでもまったりずっと温かいものを食べていられて、ほっこりするのが好き。ひとり鍋もいい。
昨日はこのコチュジャンを使ってキムチ鍋。

以前、ある女性のつくってくれた蒸し豚の料理に使われていたコチュジャンがとても美味しくて、それ以来このお店のものを使うようになった。
はじめて訪れた鶴橋で、市場のように大きく開けた店に、やけにたくさんの人が集まっていて、さそわれるように見に行くと、見慣れたコチュジャンのお店だった。商品としてお店に並んでいるのをはじめて見た。もう閉まる寸前で(鶴橋は夕方には商店は閉まってしまう)、あわててこのコチュジャンと前からほしかった魚醤を買った。
味もほどよいからさと甘味で、ストレスを感じない。でも自分ではよく分からない、知らない味がする。もっと美味しいコチュジャンもこれから出会うかもしれないけど、今はこれが自分にちょうどいいコチュジャンだと思う。まるで近い知り合いの手作りをおすそ分けしてもらったような大胆な量もうれしい。こういうものは使うときはどっと使うことになるから、少ない量だと次に続かなくなり、いざって時に足りなくなって困ってしまう(今日もスーパーでコチュジャンを探してみたけど、YOUKIの130グラムのやつしかなくて、スルーした。ところでユウキと読むのか。ヨウキとしか読めなかった)。
その日はたしか別のお店にいい豚足があったので、家のコンロで表面の毛をあぶって焼いて、このコチュジャンで食べたんだった。300グラムもあるとずいぶんもつから、鶴橋を歩いたのも結構前になるのかな。

今日は少し離れたお店のはまちの刺し身が、足が止まるほどきれいで惹かれたのだけど、昨日の鍋の具材がけっこうのこっていて、朝から今日の夕食は鍋にすることにしていたので、ふりきった。
そのかわり明日食べる用に、買っておいたまぐろの目玉を煮付けて冷蔵。

夏から坂を転がるように秋でびっくりしてしまう。

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