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脱ぎ捨てられる昨日

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「あれは三年前…」



歌謡曲から、「時代」「テレビ」「日本芸能界」的なもののイメージがサッと排除されると、
当時共有されていた物語や生活の残存気配、独特の生臭さのようなものが現在を脅かしてくることがなくなり、とてもモダン、現在のための歌に聞こえてくる。
リアルタイムの世代の人たちは、「あの(貧しくも豊かだった)時代の雰囲気を連れてくるから名曲なんだ」というようなことを下の世代に対して言いたくなってしまうものかもしれないけど、あえてそこはバッサリないほうがいい。
『喝采』、あまりに有名な歌だけれど、はじめて聞いたような気持ちになる。
ちあきなおみ25歳のときの曲。

椎名林檎が何かのインタビューで「自分は『歌モノ』がやりたかった、昭和歌謡を復活させたかった。出来れば歌い手に歌を作るほうをやりたかったのだが、自分でやるしかなかった」というようなことを言っていたと思うのだけど、それを読んだときとても納得がいったし(彼女のやってきたことをある程度クリアに説明されたように思った)、ただただ凄いなあ、と思った。
そんなことを十代の上から分かっていて、信じられ、かつ自分の身体で「プレイ」することができるって、いったいどういうことだろう。いったい何歳のときから、彼女は自分だけの言葉で、自分だけの気持ちでものを考えてきたのだろう。

落ち着いて観客席に座らせてくれるような、「観賞する」ということの足場がしっかり用意されている歌は、 他の客との一体感を楽しむようなことはできないかもしれないし、舞台の上にいる人と自分が「ひとつである」というような幻想は持てないかもしれないけど、とても安心する。観ている自分のスペースが、まわりを見て合わせなくても、きちんとはじめから用意されているような気がする。
十代のころはその、安心したところに座ってると、同年代の他の人たちがみんな一緒にダンスを楽しんでいる中、自分はダメなんじゃないか、乗り遅れてるんじゃないか、参加できない人間なんじゃないかと、疎外感も感じて不安だったけど(そのため、必死にそういうものを否定しようとした時期もあった気がする)、最近は腰を落ち着けて座っていられるようになってきた……と思いたい。

昭和の時代に歌謡曲を聞いたなら、皆と一緒にNHKホールの席に座ることに居心地の悪さを感じたかもしれないけど、幸いにも今はそのことを意識せずにすむ。

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