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  <title>door to door</title>
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  <description>脱ぎ捨てられる昨日</description>
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    <title>猫がくるまで</title>
    <description>
    <![CDATA[12月に猫を迎える予定でいます。<br />
<br />
決まると、すごくあっけないことのように思えるけど。<br />
まだ来るような気が本当にはしていない不思議な時間。<br />
もう来ないと思ってた。うちには猫はやってこないと。<br />
１０歳の私に言ったらとても驚くと思う。あなたのところに猫が来るよ。<br />
<br />
<br />
「結婚するので（アレルギーなので）（引っ越すので）猫を手放すことになりました。募集条件・生涯面倒をみてくれる人」という募集を見るたびに「&hellip;&hellip;」となったこと。<br />
殺処分される猫を減らしましょう！だから捨て猫を飼いましょう！というのを見すぎて、捨て猫を飼うことが本当に殺処分を減らすことに繋がるのかな拾う人がいるから捨てられるという面はないのかなと思い始めてきてモヤったりしたこと。<br />
募集条件が新婚と一人暮らしは不可だったり、子供を生む予定があるかどうか・年収を聞かれる・部屋に直接届ける・一ヶ月に一度は写真付きメールで近況報告とか、見ているうちに何かがわからなくなっていったこと。<br />
常連のカフェで、捨てられていた子猫に里親募集をかけていたけれど一瞬ですべて決まってしまっていたこと。全然血縁関係にないたくさんの猫たちがその子猫たちを全部、面倒をみていたこと。そのときの子猫たちのあまりにも穏やかなまあるい寝顔。<br />
譲渡会に行ったこと。<br />
実家で里親募集の猫を迎え入れたこと。その猫を迎えに行ったとき、乳飲み子だったときから面倒をみてくれたというおばあさんが別れを惜しんでずっと泣いていたということ。<br />
その猫をワクチンに連れていったとき、少ししか面識のないわたしを注射中ずっと頼ってきたこと。<br />
里親募集シェルターで話を聞いたこと。<br />
そこにいた両眼球のない猫がとてもそうとは思えなかったこと。とても優しくしてくれたこと。<br />
そのシェルターは最近譲渡数３０００頭を越えたって。本当にすごい。<br />
ペットショップで８年ケージから出ていない猫を看板猫だと言われたときのこと。<br />
脚が萎えていてその猫がもうあまり歩けなかったこと。爪が伸びすぎていて肉球が痛んでいたこと。<br />
キャットショーのカルチャーショック。スタンダードの猫の貫禄と毛艶と栄養状態にびっくりしたこと。<br />
<br />
常連のカフェにいた１９歳の猫が台風の日に死んでしまったと聞いた。死ぬなんて全然これっぽっちも思っていなかった。かっこいいペルシャミックスだった。レオ立派だっただろうなありがとう。みんなでレオ様と影で呼んでいました。一度テーブルにジャンプしたときは歓声がわいたね。<br />
もういない。<br />
<br />
二年前に出会って、腕の中でずっとごろごろ言ってくれていたやわらかな一匹の猫が、うちにくる猫のお父さんになった。<br />
<br />
セルカークレックスという種類の猫がうちに来る。<br />
天然パーマの猫で、まだ種類としての歴史は浅い。<br />
大きくなるまでは親兄弟とずっと一緒にいて、いろんなことを学んでこられるようにお願いした。<br />
わたしは猫のことをあまりにも知らなすぎるから、本人が少しでも猫であることを知ってきてくれれば嬉しい。<br />
生きやすい猫になりますように。<br />
そして、幸せかどうか永遠に聞くことは出来ないけど、どうか幸せに生きてくれますように。その手助けができるだけ出来ますように。<br />
<br />
すべての猫が望まれて生まれ、望んでいる人のところにやってくれば、捨て猫はいないと思う。<br />
そんなに上手くはいかないだろうけど。]]>
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    <pubDate>Sat, 26 Oct 2013 15:33:09 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>パンの音</title>
    <description>
    <![CDATA[ホームベーカリーが真夜中に小さい洗濯機みたいな音をたてて働いてるのがかわいい<br />
]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Sun, 26 May 2013 16:12:05 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>前後</title>
    <description>
    <![CDATA[「荒木飛呂彦の超偏愛！映画の掟」を読んでたら映画「バタフライ・エフェクト」に触れていて、わたしは観たことがないのだけれど、過去のある時点にもどって何度もそのときを経験するような話であるらしい（違ったらすみません）。<br />
<br />
　それでふと思い出したんですが、１０年以上前、堂本剛主演で、主人公が事故がきっかけで何度も過去に戻るようになり、そのため最初のループのうちは、ミスの多かった人生をやり直せるからラッキーだと思い、結果を知ってる馬券を買ったりしてお金持ちになったりするんだけども、毎回９９年だかゼロ年を決して越えられない、結局また過去に戻ってしまう…しかも戻るたびにループする前の最初の人生で発生していた不幸が悪化する、というようなドラマをやっていたことを思い出しました。何回やり直しても９９年だかゼロ年を越えられないので、それじゃあ金持ちになろうがなんだろうが同じじゃないか、というように、主人公や擦れていきます。<br />
<br />
　確か河合我聞が友人役。最初の人生でも堂本剛の親友で、何度めかのループまでは仲良かったのに、あるループで堂本剛の忠告を決定的にきかず、のっぴきならない事態をまねき、堂本剛の目の前で自殺する、というような流れがあり、河合我聞が色白の顔で目鼻をひくひくさせて泣きながら拳銃自殺するシーンの妙な情けなさがけっこう切なく、妙に覚えています。ドラマ自体は細部がなんとなく雑というか、そっけない作りで、あまり愛着を感じられない、登場人物に共感しにくいつくりだった記憶があります。そのぶん不気味な感じの作品でもありました。<br />
<br />
　わたしは過去にも、はじめて「バタフライ・エフェクト」のあらすじに触れたとき、「ああ、あのドラマはこの映画の影響で制作されたのかな」と思った記憶があります。というのも、何か下敷きになる既存のストーリーがないとできるような感じの話ではなかったからです。でも今調べたら、ドラマのほうが古く９９年作らしい。後々考えれば９０年代のおわりからゼロ年代はループものや平行世界ものが大量に作られていたので、別に珍しいものでもないのかもしれませんが、当時のドラマって時々今以上に、ひとりで夜書いたり呼んだりする手紙っぽいというか、ちょっと閉鎖的な感じのする内容のドラマをやっていたのだなと思います。<br />
<br />
　この文章を書き始めたときはあのドラマのタイトルなんだっけ、誰か教えてくれないだろうかと思っていたのですが、今はWikipediaがなんでも教えてくれることを思い出しました。「君といた未来のために〜I'll be back〜」というタイトルの作品であるようです。もう１５年くらい前の作品だったのですね。そして河合我聞は別に出ていなかったみたいです。わたしが見たと思っていたものは一体なんだったんでしょうか。<br />
<br />
　未来こそが僕の帰る場所だ！という前向きなタイトルであるように見えるんですが、９９年ごろのあの世紀末感を感じさせるなあとも思います。９９年ごろの作品にとって未来ってあの世みたいな扱いでした。<br />
　<br />
　そして同じように堂本剛主演の「僕らの世紀未満都市」などがそうなように、この作品もDVD化していません。この当時の、メジャーだったのにマイナーな感じのする、ちょっとガラクタっぽいところが魅力の作品の多くが、退屈な理由で（少なくとも噂される理由は）ソフト化していないのは残念なことです。たとえば木村拓哉主演の「ギフト」とか……（正直新しく木村拓哉のドラマを観るよりは、「眠れる森」などこのころの作品を観たほうがずっと確実に彼の俳優としてのきらめきを感じられると思うので、復刻を期待するところです）。そして私はそれらのほとんどの最終回を見ておらず、「君といた未来のために」のオチももちろん知らないのでした。<br />
<br />
<br />
　<br />
]]>
    </description>
    <category>映画</category>
    <link>http://doorkaradoor.blog.shinobi.jp/%E6%98%A0%E7%94%BB/%E5%89%8D%E5%BE%8C</link>
    <pubDate>Sat, 25 May 2013 06:04:00 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>クリスマスの終わりとそれからのメモ１</title>
    <description>
    <![CDATA[梅田のクリスマスイルミネーションを見ながら、最近の照明、あれはLEDだろうか？<br />
ずいぶんすっきりとした光で、スタイリッシュでパキッとして見えるなと思う。<br />
<br />
いっぽうであたたかみやにぎわいを感じることのない光よなあ、と思う。<br />
その光に、人の干渉を感じさせない。だれかがセッティングし、スイッチを入れたんだろうか？<br />
そういうことがあいまいになる。<br />
街灯がたくさん光っていることとの差を感じにくいというか。<br />
<br />
かつては光がたくさんあって人が集まるということ、それは圧倒的な富であって、華やかなにぎわいを感じさせたのだろうけれども、この時代に大都会で、夜たくさん明かりがあって人が歩いているだけで「明るさ」や「にぎわい」を感じるのは難しい。<br />
<br />
きっと江戸時代なんかの夜の繁華街というもの、ろうそくだとか油やたいまつだのを皆で燃やしたりだのしていたころは、毎晩祭りのように感じられただろう。そこを行く人たちと、そこで商う人たちの交わり。その明暗を肌身で感じることができただろうと思う。<br />
<br />
そのにぎわいのファンタジックさを想像する。毎夜祭りのようであったろうな。<br />
光や人が集まるということ、ただそれだけで特別に物語的であったころ。<br />
<br />
最近のクリスマスツリーは、暖炉とサンタクロースや冬の夜の寒さのイメージからはずいぶん遠いところにきている気がする。<br />
<br />
<br />
この間観た『タクシードライバー』は、照明がネオンだったころの繁華街を走っていた。<br />
あの、光があることによってより薄暗く感じるような、どこか陰鬱な華やかさというのも、わたしは見ることのないまま過ぎていきそうな気がする。<br />
<br />
……かつてのようにわざわざろうそくを灯さずにすむようになった生活というのは、「便利になった」といわれる。よく上の世代に言われることに、「今の世代は何でもあっていい」「今の子供は贅沢だ」ということがあって、スイッチひとつで明かりがあることはさもそうでないことよりも確かに楽で豊かであるのだけど、それは一方で、この時代の相対性の中では、ろうそくのようなものは贅沢品になったということでもある。<br />
もちろん、必然として手間を要求されなくなったこと、楽になったということにかわりはないのだけれども。よい明かりを灯そうと思えば、コストと時間がかかるのだ。<br />
<br />
<br />
部屋を暖色照明にしたいとか間接照明にしたいと思っても、蛍光灯やＬＥＤライトのほうがはるかに電気代が安いとか省エネであることなどから結果的にそっちを選んでしまうということ、そしてそのこうこうと明るい照明の下で夜を過ごすということ。<br />
確かに誰もが便利で長持ちするものが手軽に手に入って良い時代なのだけれども、一方ではそれはそうでないものを選べば得ることのできる雰囲気とか、風情とかいうものは得ることができない。そうした中でろうそくや行灯のようなもので灯を得ようとしたらそれは贅沢、趣味の領域になる。<br />
現代においては、そうした明かりは質素や清貧ではなく、高級なことだ。<br />
<br />
……サーシャ・テューダーの暮らしを見て、「質素な、ものをほしがらない自然な生活」と思うのは間違いで、彼女はベンツやブランドドレスをほしがらなかっただけで、この時代の不自然を、贅沢を選んだのに変わりはない。労力をかけて庭を作り上げ、味わいながら、手間隙を惜しまず自分だけの生活を作り、古い手作りの自分が気に入ったものだけを買い揃える。周囲のすみずみにいたるまで自分の好みにし、日常世界から自分にとって不要なノイズを排除する。<br />
そうしたことは、身の回りのものを大量生産品で間に合わせざるを得ず、日々家の中でまで広告に囲まれ（このブログも気づかないうちに広告が強制的についてしまった）、労働で時間を手放さざるを得ない現代の生活にとっては、贅沢なことだ。<br />
<br />
ターシャは決して貧しさを選んでいるのではない。<br />
<br />
<br />
＊＊＊<br />
<br />
<br />
近所のジャズバーの前を通りかかると、窓から真っ暗な店内、古いツリーが飾ってあり、豆電球がピカピカと明滅を繰り返していた。あかあかとしたその明かりに思わず足を止め、ようやくクリスマスがきたという感じがする。ああしたツリーはわたしが子供のころにはよく売られていたなあ。「豆電球」には、ノスタルジーをのぞいても、光のあたたかさをだいぶ感じられる。<br />
<br />
<br />
＊＊＊<br />
<br />
]]>
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    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Wed, 21 Dec 2011 12:43:45 GMT</pubDate>
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    <title>雑記</title>
    <description>
    <![CDATA[<script type="text/javascript" src="/ScriptLoader?type=YouTube&amp;id=rVOeRKtMe3Q&amp;width=400&amp;height=300"></script><br />
<br />
大学時代のおわり、自分の服にどうしようもなく非自分性を感じ、それらを脱ぎ着するのをやめて、ボーイフレンドの大きめのパーカーをはおってぼろいジーパンにサンダルで授業に出ていたころというのがあって、あのころの自分はもう、自分の幼年期の、思春期の、誰も知らない借金を返すような気分で日々を生きている自分というものにうんざりして疲れ果てていたのであろうなと思う。<br />
でも今思い返すとそんな「適当な」格好さえ何かしらの抵抗、何かしらの主張であったように思われるし、ボーイフレンドの衣服を着ていたということも、何らかに庇護されたいと思っていたのだろうと思う。ボーイフレンドそのものというよりは、人の衣服を着ているというそのことに。<br />
過去は、自分のことであるのにいらぬ深読みをどこまでもできるてしまう。<br />
スペースシャトルみたいに過去を自分からいったん切り離してしまえたら便利なのだけれども。ここからここまでが私、そこから先は切り捨てでよろしくとしてしまいたいなと、こんな歳になっても思ったりする。人生のすべてのそのときに自己同一性を感じるのは不可能だと思うけれど。昔の人は気分でよく改名をしていたという。母親が死んで辛いので改名しましたとかあるらしい。<br />
<br />
大学時代に着ていた服は、もう一着も残っていない。すべてとうの昔に私ではなくなってしまった。<br />
<br />
服オタとかコスメオタ、とか言ったりもするけれど、すべての人が何らかのことを感じている。いちいち緊張したりしなかったりを繰り返し、脱いだり着たりしている衣服や、化粧というものの、あの感じ。<br />
きれいに選択して洗濯された衣服は美しい。<br />
まるで手に入れる前から私のものであったように思える衣服、靴、鞄。<br />
着ているだけで自分が守られていると思えて、それは自分の本当に一部になる。<br />
それを着て気持ちのいい日に気持ちのいいところへ恋人と友人と出かけたいと思うよ。<br />
<br />
でもその一方で、毎日鏡の前で自分をチェックするのを繰り返していると、新しく会う、あるいは旧知の他人、圧倒的他人、に対して、ありもしない尻尾を必死になって隠しているような気分が続くこともある。そうなると、この武装は一体何であるのかという気分になって、自分は武装なんてしなくてもいいのだということを居もしない誰かに示したくなってきてしまったりする。そういう自意識の酩酊状態から抜け出そうとして抜け出せることは絶対にない。<br />
<br />
百貨店に行くと、すっと遠くまで見張らせるフロアに、あれこれのブランドの化粧品コーナーがずらり、美容部員もずらり。わたしはあの風景が好きで、同時に同じぐらい苦手。<br />
美容部員は髪をまとめあげていることが多いけれどもあれは顔が見えやすいようにするためなのだろうけれど、ずらりと並ぶと異様。こちら春の新色なのですけれど、今私がつけてるんですけどこういう風になりますっていうときに頬は見えてないといけないからそういうものなのだろうけれど、そのブランドの化粧品でベースから最後まで行われた、お手本としての化粧を顔に乗せて、同じ服と髪型で並ぶ。<br />
顔はぱーっと明るくて眉毛の、あのきれいなブーメラン。<br />
フロアで見るとここはどこ私は誰な気分になり、すーと意識が現場から遠ざかるときがある。スーツならまだしも白衣を着ていたりもする。白衣って何かとか思い始めると、いろんなことが奇妙。試してみますかといわれて街のど真ん中でクレンジングされ、知らない女性にメイクをしてもらう自分というのはふとわれに返ると危険。そのきれいに整えられ、整った笑顔を向けてくれているその顔のむこうに、ずっとたくさんの彼女がいる。美容部員は名前を持っていて、生活があって、過去があって、悲しみを持っている。今日の夕食があるし、彼女たちだってメイクを落とすのだ。そういうもの全部が今とりあえずシャットアウトされて、美容部員の顔、というのがここにあって、それはシャネルだったりイブサンローランだったりロレアルだったり資生堂だったりRMKだったりする。そして正解があったり的外れがあったりする。<br />
<br />
美を与え、美のモデルである仕事であるはずなのに、彼女たちは同じ衣装を着て同じ髪型をしている。<br />
私はこのわけのわからなさ、というものを、好きになったり抵抗を感じたりを繰り返す。<br />
<br />
しばらく化粧をしないで過ごしていると、ああ、化粧をしなくては、と思う。<br />
化粧をあれこれできるのなんて今のうちだけよ、とか、そうとも限らないのに頭のどこかでうるさくて、でもしばらくしていない自分の顔というものがあって、戸惑ったようにしていない居心地の悪さと、でも「ラク」という言葉では表現しきれないその、自分自身のみずみずしさみたいなものを感じるときもある。<br />
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    <category>未選択</category>
    <link>http://doorkaradoor.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E9%9B%91%E8%A8%98</link>
    <pubDate>Sat, 01 Oct 2011 09:13:07 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>女子</title>
    <description>
    <![CDATA[http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20110903#p1<br />
<br />
いい歳して「女の子」「女子」と自分（たち）のことをいうのはどうなのか、という声。<br />
自分たちを女子というなんて恥ずかしくないのか？　という煽り。たまにネットで見かける。<br />
わたしはテレビや雑誌の多くを見ないからどのぐらい使われている言葉なのか知らないけれども、あまりにも使われているのだとしたら「まあ確かにちょとどうなのか」と思うところだし、メディアで男女が語られてろくなものになったことがないと思うから、その言葉自体がもはや誰かにとって挑発的に聞こえることもあるかもしれないな、と思うのだけれど、じゃあいざ自分が、今まで知り合って会話を交わしてきた同年代やそれ以下の女性、というものを、「女性」「女」と呼べるかというと、しっくりこない。<br />
<br />
女が女を「女」と呼ぶのは、なんとなく突き放したような、批評的な、あるいは自虐的な意味を付与しているような感じが、わたしはする。女であるのに、女が「女」を語るとき、女は「女」を征服し、自分はさもそこで語る「女」から自由であるような目線を生んでしまう。女が女を「女」と呼ぶとき、それは「わたしたち」を語る言葉には、なかなかならないように思う。同時に、「わたしってダメな女なんだよね」というように、自分はこういう女だ、という言い方は、特権的な響きを感じさせる。「女」、に中心がないからだろうか。<br />
とはいえ、男性にしたところで、「僕はこういう男なんだよ」という台詞には、よくも悪くも傲慢な自己肯定を感じさせなくもない。内容によっては聞くほうはちょっと下がってしまうかもしれない。<br />
<br />
「男子の本懐」というように、女子という言葉はそもそも何歳になって使ってもかわわない、と言われたりもしているようだけれど、女性たちが互いに集まることを「女子会」と呼んだりすることがある程度定着したのは、自分たちを女の子である、女子であると主張したいというよりはむしろ、互いに「女子」という響きの押し付けがましい甘えを利用して、垣根をくずしてなれあえる可能性を感じたところがあると思う。「女子」という言葉は思えば最初からそういう感じで、絶対にバラバラにしかなりえない個別の少女たちををとりあえず便宜的にくくりつけておける都合のいい言葉であって、自分で自分のアイデンティティをあらわす言葉ではなかった。<br />
だから、参加者が２０代から８０代という幅でも、「女子会」として集まることができる、というのは、けっこうすごいことなんじゃないだろうか。これが「ふれあい会」とか「女性会」だったら誰も参加しないだろうと思うわけで。<br />
私も最近、５０、６０代女性と三人で「女子会」をした。血縁も地縁もない。「ちょっと３人で会いましょうか」「お茶でもしませんか」よりはしっくりくるものがあった。<br />
全員が、「女子会ってねぇ（笑）」みたいな感じだったけれど、この（笑）をつけていられるあたりが、とても女子的だなあ、と思うところ。]]>
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    <category>未選択</category>
    <link>http://doorkaradoor.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E5%A5%B3%E5%AD%90</link>
    <pubDate>Mon, 26 Sep 2011 11:54:50 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>ホラー映画</title>
    <description>
    <![CDATA[日本のホラー映画のほうが世界に誇る怖さだっていうのは、観ているともう本当に嫌になるぐらい怖いので分かるんですけど、観てる自分としてはある程度は安全に観たい、という甘えがあるもので、ハリウッドのスポーティなホラーのほうが楽に観られるっていうのがありますね…。<br />
<br />
あまり詳しくないのだけれど、「もうそれギャグだよ！」っていうのは明らかにＪホラーのほうが多いように思う。でもギャグなのに怖いのよね！<br />
海外のホラー映画は、ギャグっぽく感じると結構安心できるのだけど…。『スクリーム』とか怖くないし。<br />
<br />
『呪恩』とか、「どういう話だっけ？」って全然思い出せないぐらい、あの男の子のことしか覚えていません。あの男の子はどう考えてもヒョッコリ出てきすぎだし、実際あの映画って観ていて笑いが止まらない人もいるらしいんだけど、その気持ちは本当に分かる！と思うのに、観ていると私はほんと怖くてダメ……。青白く顔を塗った男の子が現われるだけで怖いなんて、そんなわけあるのかしら……。<br />
「ホラー漫画」というくくりだと、わたしは不快のためだけのスプラッタもグロも本当に苦手なので、たとえば『ホラーＭ』とかは読めません。伊藤潤二とかも読めないだろうなあ……。<br />
でも山岸涼子とかは、どんな作品でもわりと平気で読んでいます。ああいう精神的なものは好きだなあ、と思います。癒される。<br />
<br />
「どうしても流行の『リング』が観られない」という話をしていて、高校時代の友人だった子と見よう！という話になったのだけれども、結局は２人して早まわしばかりで全然観られなかったなぁ。その彼も二十歳ぐらいのときに事故で亡くなり、でもごくたまにごく自然な気持ちで、「今どうしているかなあ」と思うことがあります。人間として未熟すぎて、お互いのことも世界のことも何もわからないままでしたね。いろんな風に人と仲良くしたり、ならなかったり、流したり、受け入れてみたりということを経てみた今となっては、あれが友情だったのかさえ、さだかではない。<br />
<br />
今なら会っていろんな刺激的な話もできるだろうと思うのですが。<br />
<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
    <link>http://doorkaradoor.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%98%A0%E7%94%BB</link>
    <pubDate>Sun, 18 Sep 2011 14:09:51 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>雨風</title>
    <description>
    <![CDATA[<script type="text/javascript" src="/ScriptLoader?type=YouTube&amp;id=2DtMiMfoYWI&amp;width=400&amp;height=300"></script><br />
<br />
ニ、三日前から海は完全CLOSE。誰も入っていない。<br />
<br />
一昨日真夜中に浜まで行くと、暗闇の中で白波がうねっていてぞっとした。波音はどどどどどと、轟いているのになんとなく物静かな様子。海がざっぱざっぱと混ざり合っているからか、浜辺はいつもより生臭い。<br />
月の明るい日は遠くまで見渡せて、自分の影も見えるなか、波打ち際を歩けるほど穏やかであるのに。<br />
育った土地では台風はあまり来たことがない。温帯低気圧になるか、それるかのどちらかであって。<br />
雨戸を閉めて、がたがたそれが鳴る音を聞いて、外は雨風、という夜をまともに経験するのは、もしかしたら初めてではないだろうか。<br />
「ちびまるこちゃん」に台風が来る回があって、子供のころは台風ってどんなかなと想像した。<br />
<br />
実際にやってくると思いがけずおそろしい。こうしている今や、自分自身は穏やかなままであるけれども、そうであることが不思議に思えてくる。珍しくテレビを見れば、川は増水し、家々も危うかった。<br />
わたしは家をたてたことがないから、自分が建てた家が雨風にうたれる不安、そして実際の、壊れてしまったり、痛んでしまったりということの苦しみを想像するのが難しい。……。<br />
<br />
失われるものが少しでも少なければいいのだけれど。<br />
]]>
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    <category>未選択</category>
    <link>http://doorkaradoor.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E9%9B%A8%E9%A2%A8</link>
    <pubDate>Sat, 03 Sep 2011 22:16:46 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>撃たれる</title>
    <description>
    <![CDATA[夢は記憶の整理。<br />
<br />
この間、昼間に、画面のむこうがわからこちらに向かって銃を撃つというアニメのワンシーンを見る機会があった。それが、撃つときに銃口に火花の描写があるんだけど、黄白色の火花なんだけれども、銃口で水風船がが破裂しているようにしか見えず、もうちょっとちゃんと描いてくれまいか、と笑ってしまったのだけども、声優の演技と効果音なんかはすごくよくて、少年が「撃て！」という心の声に、信念に従って敵に向かって銃を撃つというのが、なんでか説得力があって、なんだか気になって何度も何度もその描写を見た。<br />
<br />
日本は銃社会じゃないから、「銃を撃つ」＝「男性性」「暴力性のなんらかのかたち」というのが、子供時代はよくわからなかった、というか、借り物めいた、演技めいたものにしか思えなかったのだけど、ふと大人になって、今、自分よりずっと歳若いことになっている少年が、男としての成長のひとつの現われとして、その少年時代への決別として、何かを引き受ける覚悟で、相手を殺すために、銃を撃つということが。そして撃ち終わったとき、充足するかわりに、それまでの自分自身を失うということが。<br />
その描写がやけにひっかかって、しんどい思いをした。<br />
銃が、少年のそれまでのすべての怒りを解放するそのときであること…。<br />
そしてその描写は、例えば背を向けた少年がむこうに向けて銃を撃つとかではなく、画面のこちらがわに向けられている。<br />
<br />
子供時代は、映画や漫画の登場人物が銃を撃つということのかっこよさは、前提として鵜呑みにしていただけだと思う。ルパンがなぜ銃を撃ってそれがかっこいいのか、私にはずっとずっとよく分からなかった。次元が銃を撃つのがなぜかっこいいのか、全然分からなかった。でもかっこいいということになっているから、かっこいいことになっていた。そしてかっこいいと思っていた。なぜ、異性に銃で胸を撃ちぬかれるのが恋愛につながるのかも、そういうものだと鵜呑みにし、いずれ慣れていっただけで、実際の腑に落ちる感覚で分かることはなかったように思う。ガンアクションの多い映画は、なんだかよく分からなくて、きちんと面白いと思ったことがない。俺の銃を撃つ、みたいなものが、全然分からないのだ…。<br />
戦争ものなどの銃は、もうただただ怖くて忌まわしいもので、スタイルとか読み取る気持ちにもなれなくて、遠巻きにしてきた。怖いから、知らなかった。何も。表面だけのことも分からなかった。<br />
子供時代なら、だからこそ、物語の主人公が銃を撃つとき、私も撃つことができたのだ。なぜならそれは、撃つべきときであり、撃っていいときであり、撃つかどうかの選択は、主人公がしてくれていたから。だから素直に、ただ重なればよかった。<br />
でも今になって、少年は撃つべきときがきて、撃つことにした、でも同時に撃たされている、ということが、その撃たされている姿が、撃たされているのに撃っているのは自分だと分かっている姿が、おそろしい。おそろしくて、情けなくて、そしてかっこいい。<br />
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火花の絵が洗練されていたらこんな風におさまりの悪い気持ちにならなかっただろう。そして、銃は嫌なものだなあ、と思った。<br />
そして初めて、銃を撃つシーンのかっこよさが分かっている自分を意識する。そのファンタジーの意味が自分なりに分かっていることに驚く。<br />
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その夜、何度も何度も、銃で撃たれる夢を見た。<br />
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右のほうからそれは現われる。視界に入り、ちゃんと見るときにはもう、むこうが撃とうとしているのが分かる。心構えができる前に、あっ、と思ったときにはもう、引き金が引かれる。ああ、と私は諦める。諦めるのは一瞬のことなのに、ものすごくエネルギーを使う。なんでもなく簡単には諦められない。楽しい気持ちも幸せな気持ちも、一瞬ですべて最低の状態に引き下げられる落差に、胸がものすごく苦しくなって、身体が芯から疲れてしまう。普通の自分から、疲れきって投げやりさえも通り越してしまっている気持ちに半秒もかからず移動させられることに、くたくたになる。くたくたになっているところを、撃たれる。それはもう気軽に。<br />
ぱん、と誰かに頬を張られるような衝撃があって、世界全体が、軽く破裂してしまう。こんなにあっさりしたものなんだ、という感じで。<br />
そこから後はない。<br />
そしてずっとそれが繰り返される。ふと気づくと、あ、と思ったときには引き金を引こうとしているのが見える。私は全身全霊で諦める。ぱん、と破裂する。私を撃つのは少年だったり、大人の男だったりまちまちだが、実像が曖昧だ。女ではない。もしかしたらずっと同じ人なのかもしれない。私は撃たれる。気がつくとまた、あ、と思う。私は諦める…。<br />
悲しみや憎しみや怒りや屈辱や未練のようなものはない。ただ諦めるのに疲弊する。そしてずっとおろおろと焦っていた。<br />
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ここしばらくでも最低の夢見、寝起きも最低だった。次に撃たれることに身構えて緊張していた。どうせならもっと上手く諦められるようになるまで、撃たれることが面白くなってくるまで続けばいいのに、そういうわけにはいかず、一番分かりやすく嫌なループの仕方をした。<br />
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もちろん夢の銃であり、ファンタジーの銃であり、実際に銃に撃たれるそのときそのものとは関係がない。<br />
私は本当の銃を見たこともないから。<br />
でも何度も何度も撃たれながら、自分は撃つがわではないんだ、撃たれるがわなんだ、ということが、すごく自然なことだと思った。自分があれを撃って、何かを失うかわりに大人になるようなことは絶対にないんだ、ということは、あらかじめ決まっていることだと思った。もし夢の中で銃を持っていたとしたら、身を守るために撃っただろう。でも多分当たらない。そんな気がする。そして銃はなかった。<br />
私に銃はない。<br />
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子供時代の私なら、撃つがわに自然に入り込めたはずなのに、なぜだろう。<br />
撃たされていたんだろうか？よくわからない。<br />
だからといって、大人になった今でも、自分が丸裸の人間なのだ、という気分でもないのだ。<br />
何かしら私は武器を持っているのだろうか。そうだとしたら、それは何であって、どういうもので、どういうことなのだろう？<br />
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    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Sun, 21 Aug 2011 19:46:07 GMT</pubDate>
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    <title>くらしモアの</title>
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    <![CDATA[値段で侮ってしまっていた。<br />
缶チューハイ飲んでびっくり。<br />
見たら「TAKARA」て書いてある。さすがー。<br />
えーこれ普通のジュースよりちょっと高いぐらいでいいの…。<br />
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サントリーのオールフリー。<br />
ノンアルコールビール、ようはビール風ジュース。<br />
なんだけど、自分の中にいくつか思い浮かぶ「美味しくない発泡酒」よりこれのほうが美味しい。<br />
一番ビールに近い、と評判らしい。<br />
うん、未成年がいたら、「ビールって大体まあ、こんな感じかなー」と言って、そんなに嘘にならない気がする。私が上島竜平だったら酔っ払っていたかもしれない。上島竜平に失礼か…。私ダチョウ倶楽部全然詳しくないけど大好きです。<br />
これ車運転しながら飲んでても大丈夫なの変な感じ…。<br />
でも絶対脳のどこかがちょっと一瞬勘違いして、なんらかの物質を出してしまっている気がする。<br />
コーラとかファンタとか炭酸ジュースとか飲むよりさっぱりしてるし、これを飲むのもアリだなあ、などと思ったり。<br />
でもノンアルコールビールなのに、いっぱい飲んだら飲みすぎな気がする…。<br />
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映画がものすごく面白いときと、自分のこと大人になったなーと思います。<br />
昔は観ると本当に、何もかもに傷つきすぎてダメだった。<br />
最近は小説のほうが読むとざっくりくることが多いので、映画はよいなあと思います。<br />
ストーリー的には悲しいシーンとか、幽霊出てくるシーンとかでも平気で爆笑できるようになってから、映画楽しくなったな。<br />
心のおもむくままに。<br />
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妹とskypeで話してて気づいたけど、自分の表情って右ばっかり動いてて、左さぼってる。<br />
<br />
全国にどのぐらい『日常』のはかせの物まねをしたことがある人がいるかなー。<br />
万は越えてそう。<br />
正直なのが学校に行けることになったとき、ちょっと泣いたよね。<br />
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    <category>未選択</category>
    <link>http://doorkaradoor.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%97%E3%83%A2%E3%82%A2%E3%81%AE</link>
    <pubDate>Wed, 17 Aug 2011 18:05:09 GMT</pubDate>
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